NHKスペシャル「“ともに、生きる” 障害者殺傷事件 2年の記録」

NHKスペシャル「“ともに、生きる” 障害者殺傷事件 2年の記録」という番組を録画していたので、視聴した。

冒頭で、最首さんという方が「経済的に役に立つかどうかだけで人を判断する、行き過ぎた合理主義の風潮」というようなことを言っていて、たった一文だけなんだけど、私には物凄く重く感じた。
というのも、このブログをよく読んでいる人ならもう気が付いていると思うけど、私もそういう経済的合理主義に賛同する所があって、だから今の私、たいして稼げていなくて、仕事もできない私には、存在価値が無いと思っているし、死ねば良いとすら思っている。

植松被告が言う「心失者」というのも、賛同できてしまう自分がいる。
昔、筋ジストロフィーで身動きも取れなく、喋りもできない、表情も分からないから何を考えているのかも分からない、という男性が近所に住んでいたけど、ただただ恐ろしいとしか思わなかったからね。今の時代だったら、もっと長生きしたのだろうけど、私が幼い頃は難病(今でも?)で、成人を待たずに亡くなったのだった。
その時に、親御さんの顔がホッとしているように見えて、母が「大変だったでしょう」と声をかけたら、「親より先に死んでくれて、肩の荷が下りた」と言ったのが忘れられない。ある意味、重度障害者の家族の本音だと思う。
最首さんは「大きなお世話だ」と言っていたけど、現実問題、最首さんたち親が先に死んで、娘さんが1人残されたら、生活はどうするの?と思う。施設に入れるか、介護を頼むか、どうにかしないと、あの娘さんは自活できないでしょう。なんか、我が子可愛さなのは分かるけど、最首さん自身も自分のことしか考えてないように見えた。

意思疎通ができない人間は死んだほうがいい、という意見にも賛同する一方で、私は祖母を、小脳萎縮症という病気で亡くしている。徐々に運動機能が失われ、声も出なくなり、心停止に至る病だ。その過程で、認知症にもなり、祖母は亡くなる5年ほど前から、私の顔も忘れてしまった。あの時、空虚な目で笑いもせず私を見つめていた祖母の顔が、今でも忘れられない。あぁ、遂に私のことまで忘れてしまったのだ、と実感した時の空恐ろしさ。本当に、なんとも言い表せない感情だ。
晩年、母は喋らない祖母に話しかけたり、ご飯を食べさせたりして、熱心に介護に通っていた(特養に入っていたので)。母はどういう気持ちだったのかな……。私は、喋らない、表情も変わらない祖母に対峙するのが怖くて、それ以来見舞いにも行かなくなってしまった。あんな祖母ならもう死んでもいいと思ったのか? ちょっとそのあたりは、今でも答えが出せないでいる。

というのも、また植松被告の受け売りじゃないけど、今の日本に、丁寧な介護・介助が出来る余裕が無いんだよ。金銭的にも、人材的にも。
中盤、重度障害者に対して丁寧なサポートをする施設の話があったけど、じゃあそのサポートをする従業員はどこから出てくるんですか? お金は誰が出すんですか? って話だよ。月給12万くらいで、専門性の高い福祉職員が確保できるのか? できないだろうよ。だから今、福祉関係は人手不足だと言われている。
国や障害者の家族はそのあたり、どう思っているのだろう? 自分たち親が介助できなくて放り出したくせに、福祉施設では至れり尽くせりのサービスが欲しいなんて、贅沢すぎない?
後半に出てきた女子大生は、植松被告の話を「ボーっと聞いていたらそっちへ行っちゃいそう」、と話していた。いやいや、国家財政が厳しいのは事実なんだよ?と思った。社会保障費が毎年どんどん増え続けている。これ以上、自分のことを自分でできない寝たきり老人、認知症老人を増やすべきでは無いと思うし、同様に、自分のことを自分でできない重度障害者も、生きてる価値は無いと思う。

終盤、勝田さんという人が「(障害者と)一緒の時間を楽しむということ、それでいいんだ」と言っていたが、良いワケ無いだろう!と思った。楽しむだけで飯が食えるなら、この世の中、誰も悩まないし、苦しまない。その、楽しんだ時間でどれだけのお金が稼げると言うの? 1000円? 2000円? それで生活できるの?
障害者も障害者で、私のようにB型作業所で時給180円なんかで働いていたら、障害年金をもらっていても、とてもじゃないが普通の生活はできない。恐らく、親が死んだあとは生活保護に頼ることになるだろう。障害者枠雇用も、今の状態から考えたら、多分叶わないだろう。そうして、どうするというのだ。私は死にたい。今すぐ死にたい。残りの人生、社会に迷惑をかけて、社会から微々たるお情けをもらって、それをありがたがって、ギリギリの生活をしながら毎日何の楽しみも無く、ただ食ってクソして寝るだけの生活を送るなんて、まっぴらごめんだ。