精神障害者の枠にはめられたくない

最近よく考えることがある。「精神障害者の枠にはめられたくない」ということだ。

地域活動支援センターを利用しなくなっておよそ1年半が経った。寂しい、話す人がいなくなった、ということ以外に、特に困ったことは無い。むしろ、私生活で健常者と話す機会が増え、「私は健常者の中でもやっていけるんじゃないか?」と思うようになった。
作業所も満足に行けないくせに何言ってるんだ、と言われそうだけど、もう何年も2週間に1度、健常者の先生や生徒がいる絵画教室へ通っている。それで、休むことはあっても、トラブルを起こしたことは無い。
また、ものすごく懸念していたペーパードライバー講習だが、1日だけ超スパルタ教官に当たって精神的ダメージを受けたくらいで、そのほかは普通に通うことが出来た。

何度かこういう経験をすると、こう言ったら申し訳ないが、精神障害者と話すのが苦痛になってくる。もちろん、そうでない人もいる。
例えば作業所で人との距離感がおかしい人を相手にするのは、本当に精神的に負担だった。精神障害がある人のための施設で、そういった人を相手にすると精神的に疲弊していき、精神状態を悪くする、という本末転倒な事態に何度も陥った。
コソコソと、時には大っぴらに噂話をする。プライベートに首を突っ込んでくる。秘密のつもりで言ったことを言いふらされる。同じ利用者に対する愚痴や悪口を陰で言う。

こういった問題は、精神疾患が比較的若い段階で発症し、社会的な経験を十分に積まないまま育っているから、と言われがちだけど、病気で高校を卒業できなかった人でも、人との距離感をきちんと取れるうえに、考え方などもきちんとした人はいるわけで、中卒だからどうとか、関係ないと思うようになった。本当に、本人の生まれ持った性格なんだろなと。
ま、そんなこと言う私だって幼いところは多いけどね。やっぱり結婚して子供産んで育ててる人とは、苦労の質が違うし、自分より(って比べるのもおこがましいが)一回りも二回りも人間的に大きいな、と思う。義妹なんか見てると特に思う。

じゃあどの枠にはめてほしいんだよ、っていわれると、健常者は無理だし、違うんだよね。だから、自分でもどうしていいのか分からないんだけど。