心の傷を癒すということ(3)「見えない命綱」

片岡という女性が、アルコール依存症だと思ったら、多重人格だったという、結構重めの回。
個人的には、多重人格という症状はあまり信用していないというか、「演技なのでは?」と思っている部分が大きいのだけど、自分自身の病気も他人から見たら「演技なのでは?」と思われるとキツイなーと思ったので、これからは考えを改めようと思う。

片岡が避難所でまわりから嫌がられて、自主的に出て行く場面では、和隆がいかにも「力及ばず」といったふうに苦悶の表情を浮かべるところで、こちらも苦虫を嚙み潰したような顔になってしまった。
ここらへんは、精神科医の敗北というか、「救ってあげられなかった」という思いが強くにじみ出ていると思う。

私も苦手な和隆の父親も、歳のせいか焼きが回っていて、あれだけ忌み嫌っていた和隆に「お前の病院に入れてくれ」と言うのだから、人は変わるもんだなぁと思わせられた。
私はいまだに父親が苦手というか、嫌悪感・恐怖感がある。もし私が社会的に成功していて、父親を上回る年収だったり、社会的地位にいたとしたら、きっとそのあたりの負の感情は、乗り越えられていただろう。私は「今後一生父を超えられない」という呪縛に憑りつかれている。
中盤、和隆と父親が和解するシーンは、心に迫るものがあった。石橋凌の名演技だと思う。

気が付いたら、冒頭の片岡が和隆の元に訪れるようになっており、なんとか命が繋がった、という思いでいっぱいだった。

今回はサブタイトルが「見えない命綱」ということで、片岡や校長先生は「見えない命綱」で救われたわけだけども、和隆の父親は救われなかった。
後者は、現役時代、あれだけブイブイいわせていたのが、晩年になると病魔に侵され、怒鳴りつけていた息子にも弱音を吐くなど、一変したわけだ。それでも病気には勝てなかった。皮肉なものだ。

校長先生のエピソードは、個人的にはBAD ENDフラグだと思っていたんだけど、予想が外れて良かった。ホッとした。
こういうの見ると、ご近所づきあいって大事だな、と思う。自分が高齢になった時、結婚していないし子供もいないので、恐らく独居老人になると思うんだけど、どこまで良好な近所づきあいが出来るか分からない。なんといっても、精神疾患を患っているわけで、恐らく私が老人になる頃でも、まだ統合失調症の抜本的な完治薬は完成しないと思う。そこで、周囲に病気をカミングアウトできるか? これは難しい課題だと思う。

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