バリバラ「アナタならどうする?~障害者と一緒に働く上での悩み~」

知的障害の人が「食堂の仕事に変わりたいと求められたら?」という課題に、「3.訓練を試みる」という選択肢があって、かなり驚いた。私が考えたのは、清掃業務を続けさせるか、希望を受け入れるか、の2択だった。勤務時間外に訓練させて、適性を見極める、というのは、企業側にも労働者側にも余裕が無いと出来ない事だなぁと思った。でも、やってもらえるなら、やってもらいたいな、とも思った。
ただ、今私が通っている作業所は、一応「体験利用」ということで、普通1か月、私の場合は2か月無給でやったんだけど、それだけでは仕事の適正があるかどうか分からなかった。結果的に、ホール係は適性が無くて仕事がつらくて仕方なく、内職係に異動を願い出たわけなんだが、こういうこともある、と思う。
会場の回答を見ると、「訓練を試みる」が最も多く、福祉に関心のある企業や人だからこそ、やはり障害者に理解があるのかなぁと思った。障害者の労働組合の人は、他の人と一風変わった意見で、障害者相手でも、健常者と同じ対応をすべきだ、とのことだった。教育の機会など同等に与えるべきだと。それも納得できるかなーと思った。

次の身体障害の人が、営業職をやるのに介助者がいないと仕事ができないって、それはちょっと会社や社会に甘えすぎじゃないかと思った。それがまかり通るなら、知的障害の人が知的な労働が出来ないので、知能の高い人を介助人として探してください、って言ってるようなものじゃん。精神障害の人だったら、うつで動けない、出社できない、というのを担いで会社まで運んでくれる人を探してください、って言ってるのと同じだよね? だから身体障害者はあつかましいんだよ、とか言われるんじゃないかな、と思った。
障害者の労働組合の人は、ここでも頓珍漢なこと言ってて、「営業は業務命令」って言うんだよね。違うじゃん。本人が希望して入ったんじゃん。それこそ会社は営利を目的とするところなのだから、嫌なら辞めてもらっていいんですよ?

発達障害の人に対しては、曖昧な表現が理解できない、という特性を恐らく雇用側・上司も分かっていると思うので、そこは理解が欲しいところだなぁと思った。というわけで、私は「2.電車で来てください」と言うね。会場の結果も、2番が圧倒的に多かったので、多数派の意見に入れてホッとした。

次に、統合失調症の人が就職するときの模擬面接を実演していたけど、これはなかなか面白かった。私もいくつか仕事をしたことがあるので、その時々に面接を受けたけど、まず聞かれるのは「何故大学を中退されたんですか?」ということだから、その点についての回答は必ず用意していた。「うつ病で、家から出られなくなり、大学に物理的に通えなくなったため、やむなく中退しました」等と答えていた。もちろん相手は「え、通えないなら、通勤できませんよね?」みたいな話になる。そこで「今は回復して、こうして面接へ来ることができます」と答える。だいたいこれで問題無かった。
だから、ポイントになっている「体調を崩す時の状況・原因を聞く」というのは、精神障害があるなら、どこでもあるんだろうな、と思う。就職を考えている人も、そこらへんは障害者のほうも、相手が納得する答えを用意しておいたほうがいいだろう。
また障害者の労働組合の人を引き合いに出すが、この人が言う「お互いのネガティブな情報を伝える」って、障害者雇用に限らず、一般の健常の就職面接でも難しいアクションだと思う。だいたい、会社はネガティブな情報は隠すよ。当たり前じゃん。勿論、労働者側も隠すしね。そこは無理だろうな、と思った。
でも、精神障害の面接で「自殺願望がありますか?」と聞く、というのは、なかなか面白いな、と思った。そこで「言わなきゃいけませんか?」と答えたら危ない、ってのも、かなり核心を突いていると思う。ちなみに、私は「時々ある」だ。

最後の、精神障害でうつ病の人が題材になっていたけど、これはうつ病じゃないというか、精神障害に対する偏見を助長しかねない設定だなぁと思った。うつ病の人が全員、あんなミスを指摘されたくらいで逆切れして「辞めます」なんて言って帰っちゃうと思われたら、本当に迷惑だ。悪いが、こういう人は退職してもらいたい。
ここでまた障害者の労働組合の人の意見だが、今回は珍しく意見が一致して、きちんとした手続きを踏んで退職するのが、私も良いと思う。しかも、この人の中身がまた良くて、退職理由を書いてもらうとか、あぁなるほどな、と思う点があった。確かに、長時間労働でうつの再発が起きている可能性もあるのだから、そういう話し合いの機会を持つのは大事だろう。

TED講演『エリン・サックス 精神疾患についての内側からのお話』

Twitterをやっていて、流れてきたツイートに紹介されていた動画『エリン・サックス 精神疾患についての内側からのお話』。
TEDというサイトで、本家はアメリカにあり英語での貴重な講演を公開しているようだ。詳しくは分からないが。それで、私も最初そのツイートからURLへ飛んだ時に、「うわ、英語なんか分からない」と思ったんだけど、再生してみると、なんと日本語の字幕が付いているではないか。そんなわけで、すんなりとこの動画を理解することが出来た。
といっても、42分の動画をずっと集中して見ることは、認知機能の低下した精神疾患のある私には非常に難しいことなので、途中何度か一時停止して、休憩を取った。動画が長くて大変そうだな、と思われた方も、同様に途中休憩を取って見て欲しい。

このエリンさんは、こう見えて大学の教授だ。同時に、統合失調症患者でもある。凄くないか? 少なくとも日本では考えられない。もしかしたら、非公開にしているだけで、統合失調症の研究者がいるのかもしれないけど、でも私が今置かれている立場から見ると、統合失調症と診断されただけでもう人生オワタって感じだ。
エリンさんは服薬拒否を長年続けるなど、日本でいったら「悪い患者」の代表格のような人だ。正直、そういう態度はあまり良くないのではないかと思ってしまう。それでも、抗精神病薬を飲むと頭の回転が鈍るような感じは、確かにするし、研究者というクリエイティブな仕事をしている人が、想像力を奪われるのを恐れる気持ちは、分からなくもない。

講演の中で、「統合失調症は妄想と幻覚が現れる病気だ」とし、陰性症状には言及していなかったことが気になった。アメリカでは陰性症状は問題にならないのだろうか? 以前見たWikipediaの統合失調症の英語版のページには、陰性症状のことも書いてあったと思うんだが……。自傷他害などが出なければ、医療後進国のアメリカ(敢えてこう呼ぶ)は放置プレイなのだろうか?
そう、アメリカでも身体拘束が横行しているようで、驚いてしまった。なんか「海外では~」って言う人って、各国の都合の良い所だけ、かいつまんで引用するよね。北欧、イタリア、アメリカ。アメリカのような医療保障の充実していない国で、精神疾患になったら医療費はどうなるのだろう? 精神疾患保険なんてあるのかね?

yomiDr. 『父が認知症に…統合失調症の息子、症状悪化し「親子共倒れ」危機』

Yahooニュースなんだけど、読売新聞のyomiDr.(ヨミドクター)の記事で、『父が認知症に…統合失調症の息子、症状悪化し「親子共倒れ」危機』というものが公開されていた。これを読んで、非常に考えさせられた。

うちは父親のほうが母より5歳年上で、男性のほうが寿命が短い、という医療データからも、順当にいけば父のほうが先に死ぬ、ということになる。そこで今の家に残されるのは、年老いた母と私、ということになるのだが、その時に私はどうしたらいいのか、ということを、時々考えるようになった。
母は脳ドックの結果から既に前頭葉が委縮していて、将来認知症を発症する確率がとても高い、と言われている。認知症を発症した母を、統合失調感情障害という精神疾患を負った私が介護できるのか、まったく自信が無い。また、Web記事にも書かれていたが、ヘルパーさんや訪問看護師さんなどを頻繁に家に入れるのは、精神的にハードルが高い。ヘルパーさん等、家に来てもらって、こちらの指示通りにしてくれるとはいえ、赤の他人に台所を使われたくない。

私の病状がこのWeb記事の息子さんのように、悪化して精神科への通院すらできなくなる、ということは、まず無いように思う。そこまで病識は失っていない。今のところ。
ただ、先々どうなるのか、となると、自信が無い。私は今40代半ばなので、5年後の50代までならまだ大丈夫だと思うけど、10年後の50代半ば、母で言えば、80歳近くになった時、母を支えられるほどの体力と精神力が残っているか?と聞かれたら、本当に自信が無い。

そういう意味では、弟は上手く逃げ切ったな、と思う。うちからドアツードアで3時間もかかるようなところに一軒家を買っている。それも母を引き取れるような余分な部屋は無い。親が認知症になったからといって、急に同居しようということには、ならないと思う。義妹が私の母を介護するようなことは、まず無いと思う。
だから、母は「もし私が認知症になったら、施設に入れてくれればいいから」と簡単に言うのだけど、年齢から分かる通り、母はもろに団塊の世代で、人口がめちゃくちゃ多いのだ。今ですら、施設の空きが無くて、特養など何百人も待っている、と聞くのに、母が80代になる頃、そんなに施設に空きがあるとは思えない。

この息子さんは、最終的には精神科デイケアに通うようになって、丸く収まったらしいけど、私は週1日の作業所通いすらままならない状態で、どうするんだ、と思ってしまう。
っていうか、5年後10年後も今の作業所に通うのか?と思うと、絶望的な気持ちになる。もっと違う仕事がしたい。

寝屋川監禁事件について

もうあまり追加報道もされなくなってきたが、大阪は寝屋川の33歳女性が実の親に監禁されてて衰弱死した事件を考えてみたい。
この事件は、本当に訳が分からなくて、また痛ましい事件だったと思う。初期報道で、被害女性が統合失調症と診断されていた経緯があり、とても他人事には思えなかった。
この事件には不可解な点がいくつもある。例えば、16~17歳頃に精神疾患、統合失調症と診断された、という報道があったかと思うが、その後なぜ診断された精神病院へ通院せず、自宅敷地内にある小屋へ監禁したのか、ということだ。普通に考えれば、暴れて家族も手が付けられない精神疾患患者、となれば、病院のほうから積極的に強制入院の打診があるはずだ。親はそれを断ってまで監禁したのだろうか? 医療費入院費を出すのが惜しかったのか? それとも世間体が気になって精神病院に入院させなかった? でもそれなら、最初の診断をしてもらうために1度は通院しているのだから、筋が通らない。
また、妹もいるらしいことが分かったが、妹が、姉の姿を見ていないことに対して、どう思っていたのか、ということも謎過ぎる。まぁこれに関しては、妹ということで、まだ子供だったろうし、警察や保健所に通報するような知恵が無かった、とも考えられるから、あまり責められないかな、とは思う。

食事も、1日2食、最近では1食にまで減らされていたそうだから、驚愕だ。人をたった2畳ほどの窓も無い閉鎖空間に閉じ込め、監視カメラで自分の娘を監視する。服も着させない。トイレすら監視されている。正直言って、親のほうが精神疾患があるのではないかと思うくらいだ。

さて、では学校はどうしていたのだろうか? 監禁されているのだから、当然、学校には通えなくなるだろう。担任の教師等は、どこまでこの家庭に入っていけていたのか? 学校にまったく登校してこない生徒をすんなり卒業させたのか? 児童福祉施設などは介入してこなかったのか?
と色々思ったんだが、なんかこの事件の始まりは、15年以上前になるよね。その頃って、児童福祉施設とか、まだまだ整備されていなかったかもしれない。

この事件は、親が悪いことは100%間違いないので、最後までキッチリ調べ上げて、罪を償って欲しい。

『精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル』が面白い

今YouTubeで見られる精神科医の動画で有名なものと言ったら、松崎朝樹先生のチャンネルだと思うんだけど、最近他の精神科医の動画もあることを知った。その名も、樺沢紫苑という芸名みたいな名前の人で、既にかなりの数の動画が上がっている。
私は、医者を盲信するのは好きじゃないので、この樺沢医師の話も話半分に聞いているけど、それでも面白い。多分、喋りが巧みなんだと思う。

今回良かったなと思ったのは、『名医とヤブ医者の違い』という動画。

パート2まであるので、気になった人は見て欲しい。
私も20代で精神科にかかってから、今までに4か所のメンタルクリニックを転々としている。いずれも「治療がおかしい」「診断に納得いかない」「診察を拒否された」等で転院した。その中でも2か所目に行ったメンタルクリニックは、支援センターでも藪で有名で、支援センターに来ている人で、明らかに統合失調症と思われる症状が出ている(独り言を言う、妄想がある等)のに、うつ病の診断をされていた。
他に、躁鬱病の作業所仲間も、この藪クリニックでうつ病の診断を受けていたし、私もそのクリニックでうつ病の診断を受けていた。しかし、診断書を取りに行くと、躁鬱病の診断名が書いてあった。意味が分からない。そのクリニックは、どんな患者にも「うつ病です」と診断することで有名なクリニックだったらしい。

この動画の中では、明確な診断基準がある、とされている。それは分かるんだが、どの医者も同じ病気なら同じような治療になる、というのは、ちょっと納得いかないなぁと思った。
私は今のメンタルクリニックに通うようになって、1回だけ主治医が交代している。前の主治医は非常勤で、本職で転勤があったからいなくなったのだ。それで、新しい主治医、院長に代わったわけだが、その初診で「お薬変えましょうか」と言われた。それまではリスパダールを飲んでいた。
リスパダールは非定型抗精神病薬の中でも古い薬で、副作用が結構多い。それを、院長はエビリファイに変えようとした。ここで、私は同じ精神科医でも、使いたがる薬に差があるんだなぁと思った。前の主治医は、統合失調症に対してリスパダール、不眠に対してコントミンを処方した。いずれも古い薬だ。しかし、院長はそれをかなり嫌がった。「副作用、出てない?」と何度も確認された。

で、まぁ動画内で言っていた「精神科医以外の医者に引っかからない方法」として、ホームページを見ろ、という答えは、これは精神科以外でなく、他の科の医師・病院にも言えることなんじゃないかなーと思った。
よくある言葉として、「開業医1人でやってる病院なのに、標榜科がやたら多すぎる所は怪しい」というものだ。うちの近所にも、内科・外科・胃腸科・整形外科・小児外科・皮膚と、やたら掲げている病院があるけど、ハッキリ言って、閑古鳥が鳴いている。実は先日、とある内臓腫瘍の患者を見落としたのだ。その患者さんが、どうしても体調が悪いと思って、駅前の病院へ行き直したところ、見落としが発覚したらしい。
この病院は、今時ホームページも無いから、医師がどの大学を卒業して、どういう病院でどういう研修を受けてきたのか、まったく分からない。それだけでも通う価値が無いように思えて来る。

私は精神科以外の他科の疾病で2か所の病院に通っているけど、その病院も、ホームページを確認して、医師がきちんと認定医等、取得しているかどうかを確認した。まぁたまに認定医等を取れていても、おかしな診察をする医者はいるし、医者も人間だから、相性がある。
特に私のような精神疾患を患っていると、それに対する偏見を持っている医者も、悲しいことにいる。精神疾患に偏見を持たず、きちんと認定医等を取得していて、さらに人間的な相性が合い、適切な投薬治療をしてくれる医者。こう書くと、なかなか難しい条件なような気がしてしまう。

朝日新聞『精神障害者、雇いやすくする特例措置』

朝日新聞に『精神障害者、雇いやすくする特例措置 厚労省、来春から』という記事が上がっていた。ぱっと見は良いように見えるが、よくよく読んでみると……。
『雇用開始から3年以内か、精神障害者保健福祉手帳を取得して3年以内の人』という変な条件があり、そのうえ『5年間の時限措置』であるというのだ。これで何が精神障害者の雇用を促進するというのだろう? 厚労省は本気で精神障害者の自立を支援しようとしていないよね? ただの「やってます、配慮しました」のポーズじゃん。ホント腹立つわ。

まずね。雇用開始から3年以内ということは、3年で契約を切られる可能性があるということ。ここら辺は派遣と同じだよね。次に、精神障碍者保健福祉手帳を取得して3年以内の人。こーれがホント、精神障害者のことをまるで理解していない、って分かる。手帳を取得して3年以内って、統合失調症だったらまだまだ急性期、消耗期で、とてもじゃないが企業で働ける状態ではない。うつ病でも「様子を見て」って感じだと思う。一体、精神障害者のどういう層を狙ってこの特例措置を決めたのか、理解しかねる。
そして、最後の悲しい一言。5年間の時限措置。5年後はそういう特例措置をしません、ってことでしょ? 5年の間にフルタイムで働けるように回復・寛解させろってか? だから、そう簡単に回復できないから、精神障害者手帳が発行されてるんだっつうのに、何を考えているのかなぁ、厚労省は。

しかし、文末にある『精神障害者は短時間労働でないと仕事が長続きしない人が少なくない』のくだりは、その通りなんだよなぁとも思った。長続きしない、という表現があまりにも印象が悪いので、他の表現に変えてもらいたいけど。薬の副作用で疲労しやすく、集中力が持続しないなどの後遺症があるため、長時間労働は向いていない、等々。

まぁホント、こういうのを『特例措置』として時限法でやってるうちは、この国の障害者福祉・障害者労働条件は良くならないな、と思った。この国では、あくまでも「毎日フルタイムで働くことだけが正しい労働」なんだね。1日4時間、週2日の労働は、価値が無いんですかね?

ハートネットTV「ある青年の死」

精神科病院で看護師に暴行されて亡くなられた陽さんは最初、うつ病と診断され、抗うつ剤SSRIを飲んだが、他人を殴ってしまったところで、統合失調症と診断を変えられる。私はここがそもそもの問題だと思った。番組では、殴った時に意味不明なことを話していた、と説明をしていたので、それで統合失調症と診断が変わったのだろうけど、SSRIを使っていたら、その副作用で暴力性が出てきたり、あるいは躁転したと考えたりするほうが普通じゃないのか? なんか、かかった病院が藪だったんじゃないのかと思った。
その精神科病院が陽さんに処方した抗精神病薬のリストが、チラッと映ったので一時停止して調べたんだけど、セロクエル600mgとか、もうCP換算値900を超えるような、無茶苦茶な量が出ているんだよね。これだけでも、どうなのかな、って思うんだけど、それ以上に、薬をコロコロ変えまくったらしいことが分かって、こりゃ本格的に藪だな、と思った。
でも、番組に出てきた京都の精神科医がカルテを見た感想では、量も種類も悪くない、ということだった。そうなのか? マジで? なんか患者の視点からすると、とてもそうには思えないのだが……。この精神科医は「精神障害者と付き合う作法を無くした社会」という表現を使っていた。じゃあ、いつなら、精神障害者と付き合う作法が存在した社会があったのだろうか? いつだって、精神障害者は迫害されてきたし、穢れのように扱われてきたんじゃないのか?

中盤から、陽さんが症状を悪化させていく話が出た。ここらへんで、流石の私も「ただのうつ病や躁鬱病では無いのかも?」と思うようになる。しかし、抗精神病薬の副作用の可能性も捨てきれない。一体どうなっているのか?
身体拘束については、私は精神科への入院をしたことがないので、他の人の話を聞いただけなんだけど、やっぱり、人間としての尊厳を奪われたように感じたとか、死にたくなったとか、とても否定的な感想を持った人が多い。まぁ見た目からも、そうだろうな、としか思えないけど。
番組内でも、拘束して恐怖から逆に暴れる患者のほうが多い、と看護師が言っていた。じゃあなんのための拘束なのか、と思ってしまう。自傷他害行為をする患者を守るため、とよく言われているが、そんなに危険な患者って多いのかなぁとか思ってしまう。考えが甘いのかな。

最後に、問題の病院の看護師らが匿名で出ていた。人手不足により患者よりも同僚の心配をしてしまう、みたいな。医療人として、あってはならないことだと思った。自分たちが仕事で楽をするために、患者をぞんざいに扱うなんて。こんな病院にはかかりたくないと思った。

ハートネットTV WEB連動企画゛チエノバ”「座間事件とSNS」

Eテレ12/7放送の番組、『ハートネットTV WEB連動企画゛チエノバ”「座間事件とSNS」』を見た。例の座間大量殺人事件とSNSとの関係や使い方についての番組だった。
私もTwitterを良く使っているので、この問題はとても関心があったけど、私の答えは既に出ていて、「SNSで知り合った人に、リアルで会わない」が唯一の解決法なんじゃないかと思っている。そう、なんでみんなリアルで会っちゃうのかね? 出会い系みたいな使い方、するなよと言いたい。それも、知り合った当日にホイホイ男の家にあがるなんて、警戒心も何も無いよね。被害に遭った人たちを悪く言うつもりは無いけど、死にたいから、どうなっても良かったのかな。

でも、荻上チキらが言っていた、愚痴れる場が必要、というのは、とても賛同する。番組で紹介された人の意見の中に、「ネットの世界で助けを求める、それがいけないことなの? それを規制されたら、次はどこへ助けを求めたらいいの?」というものがあった。まったくその通りだと思う。
Twitter社などのSNSを運営する会社が集まって、規制を検討しているらしいけど、「死にたい」と投稿したら削除されるような場が、本当に健全なのかな。自由じゃないよ、そんなの。
ただ、本当に「死にたい」と思っている特に若い女性は、それが「誰かに気持ちを分かってもらいたい、すがりたい、助けて欲しい」という気持ちを言い換えただけだったりする。私も昔はそうだったから。だから、SNSで知り合って、簡単に会う約束を取り付けて、会ってしまう子を、どうやって止められるんだろうか、っていうことは、ちょっと私には分からない。

私が以前やっていたTwitterのアカウントでは、病気であることを自分も分かっていない(病識が無い)状態だったので、特に東日本大震災の直後、物凄く気分が荒れて落ち込んで、「死にたい」と何度もツイートしていたら、事情を知らないフォロワーさんが「大丈夫ですか? 救急車呼びますか?」等々、心配してくださったことがある。一般の人から見たら「死にたい」という発言は、凄く重いものなんだなぁ、と最近になって思った。当時は、他人が私の発言をどう思うかなんて、気にもしていなかった。ちょっと反省している。
そうは言っても、今のTwitterのアカウントでも、時々鬱になった時なんかは「死にたい」ってツイートしちゃうけどね。

荻上チキ氏が、Twitterの病みアカを作っていたと語っていて、かなり興味深かった。その中で、言葉、文字にしてアウトプットすることで、自分の気持ちを客観視して、整理できる、と語っていて、まったくその通りだなと思った。
特に私の場合は、それがブログで実現されている。些細なこともブログに書く。2週間に1度のメンクリの診察の前に、ざっと読み返して、主治医に伝えるべきこと、相談すべきことをまとめる。それが習慣になっている。また、認知機能障害により、記憶力が衰えているため、様々な事務手続きや、滅多に行かない通院(定期健診など)の時期を確認するためにも、ブログを活用している。
勿論SNSも活用している。mixiもやっているし、Twitterもやっている。Facebookもやっている。インスタグラムはスマホが無いので、アカウントだけ持ってて、気に入った人を登録して時々写真を見ている。

精神科医の松本氏が、「希望とは絶望を分かち合う事」という名言?を話されていて、なるほどなと思った。私たち精神病患者は、病気の告知という一種の絶望を共有している。だから、ブログ村やSNSなどで同じ病気の人に出会うと、それが生き甲斐になる人も出てくる。病気の事を理解しないリアルの友人よりも、顔も知らない同じ病気の他人のほうが、つらい気持ちを理解してくれると思うこともあるだろう。少なくとも私はそうだ。
支援センターでも、まったく同じ病気の人は残念ながら見かけたことが無いけど、統合失調症や躁鬱病の人と、薬の話や具合が悪くなった時の話などをすると、「あぁここでは偏見が無いんだ」とホッとする。だから、とても飽きっぽい私が、支援センターへ通うことを飽きないでいられるのだと思う。

12/9朝日新聞夕刊「精神科病院をなくした国」イタリアで学ぶ共生とパスタ

今日12/9の朝日新聞の夕刊1面に、「精神科病院をなくした国」イタリアで学ぶ共生とパスタという記事が出ていた。登場人物の精神疾患当事者の方が、堂々と「統合失調症を発症」と書かれていて、なんだか凄い時代になったな、と感じた。新聞で実名を出して、病名までも正直に書かせてしまう人が現れたか、と。
私はこんなブログをやっているけど、現実社会ではほとんどの人に、病名の告白をしていない。弟にも、精神障害があって障害者手帳を持っている、という話が行っている程度らしい(母談)。絵画教室では、精神疾患があるとは言ったが、統合失調感情障害であるとまでは言っていない。唯一、大学の同級生1人にだけ打ち明けた。近所の人レベルだと偏見が怖くて、とてもじゃないが言えない。

さて、この朝日新聞の記事だが、イタリアは精神科病院が廃止されている、と紹介している。私は、個人的にはそれってどうなんだろうな?と思っている。入院施設も無くて、急性期の暴れているような人は、どうやって治療や看護をしていくのだろうか? 朝日新聞の紙面では、終始「イタリアのほうが正しいですよ、日本は遅れてます」って感じの雰囲気で、嫌な気分になった。
でも、精神障害者だって手に職を付けて、イタリアンの料理を提供できたら、いいんじゃないかなー、とも思うんだよね。冒頭の紹介されている男性は、調理ではないが週4日、雇用される形で働いている、というし。

今、私も喫茶店を併設する作業所で働いているけど、料理のレベルがあまり高くなくて、昔からいる人に話を聞いたら、最初は地域の人もちょいちょい来てくれていたけど、冷凍食品をチンしているだけだとバレたら、来なくなったとか。そりゃ来ないだろ、冷食で500円も取られたら。
そして、今は手作りの週替わりランチをやっているけど、毎週毎週メニューがリセットされるので、そのたびに料理の仕上がりレベルもゼロに戻ってしまうらしい。ちなみに、メニューは職員が考えているそうだけど、ハッキリ言ってワンパターンだ。簡単に食べられて、同じ建物の中にある支援センターを利用する人が好む、味よりもボリューム重視の丼物ばかり。
もっと料理のスキルを磨いたり、メニューを工夫したりして、また地域住民や遠方からのお客さんを呼び込む努力をすればいいのに、って思っていたけど、職員の考えはまったく違っていて、「うちは飲食店ではなく福祉施設なので」と電話で言っているのを聞いた時に、あぁここは私が考える「飲食店」では無いんだ、と痛感した。
私が、ホール係から内職係に異動を考えた時、同時に別の作業所に鞍替えしようかとも考えていて、そこは時給が300円くらいする。どうして同じ障害者がやっている飲食店なのに、こんなにも待遇が違うのかな、と思っていたら、その別の作業所には、定年退職したプロの料理人がボランティアで調理指導などをしに来てくれているらしい。だから、料理の質はすごく高いし、まぁあと立地がすごく良くて、主要駅から徒歩10分くらいなんだよね。それで、いろんなお客さんが来てくれるらしいのだった。やっぱりお金がもらえる所には、それなりの理由があるんだな、と思った。

それにしても、朝日新聞の記事を読むと、イタリアでは働けないレベルの精神障害者のことがまったく考慮されていないんだけど、その点どうなんですかね? 会話が支離滅裂で、意思疎通が図れない人とか、支援センターで会ったことがあるけど、そういう人はイタリアではどうしているのだろう? なんか、イタリアの美味しいところだけつまんで紹介してない?

地域活動支援センターで個別支援計画の作成

午前中は作業所で仕事をし、午後からは地域活動支援センターで個別支援計画の作成という名の面談をした。面談をするまでに30分ほど時間があり、支援センターに来ていた人たちと楽しく歓談した。何名かセンターに来ていたけど、結構バラけて座っていて、いつも喋る相手ってだいたい決まってるのね。どうしても、話しやすい人のテーブルに向って行っちゃう。その点、職員は特定の人に偏らないように、まんべんなく声をかけているように見えた。さすがだなと思った。

さて、面談だが、だいたい過去半年の振り返りを行った。作業所絡みのモニタリングとは違うので、作業所の話は最初は出なかったんだけど、私の支援センターの利用方法が、ほとんど作業所の帰りに寄る、って感じなので、どうしても作業所の話を出さざるを得ないというね……。
目標としては、センターの滞在時間を延ばして、色んな人と話して人混みに慣れたりすること。睡眠をきちんととること。などがあったんだけど、滞在時間を延ばすのは、良く出来ていると言われた。これについては、自分も意識してやっていることが大きいと思う。利用者さんからも「erikoさん今日結構遅くまでいるね?」と言われることが増えたし。
滞在時間が延びたのは、顔馴染みが出来て、お喋りが楽しくなったから、というのが一番大きいかな? 毎日のように来ている人に顔を覚えてもらって、声をかけてもらえるようになると、こういう場所は格段に楽しくなると思う。逆を言うと、それが出来るまでは結構しんどい……。
面談でも出た話だが、私は最初の2年くらいは、ある特定のプログラムにしか参加しないし、そのプログラムがある日しか支援センターには行ってなかった。陰性症状が強かったせいも、今思えばあるのかなぁ? それが時を過ぎるにしたがって、自然と昼食会に参加できるようになって、作業所の登録をして、という感じだ。そう思うと、感慨深いものがある。
睡眠については、エビリファイの薬が増えて若干乱れているので、今は調整中、と答えた。

今後の目標としては、作業所に遅刻してでもいいので、自力で通うこと。これは、私の強い希望だ。今母が作っているお弁当なんかは、最悪母が死んだときに、おにぎり2個を自分で作っていくようになっても構わないんだが、母に作業所まで送ってもらう、というのは、母が死んだら出来なくなるわけで、そこに頼っていたら、通勤がまともにできなくなる。
その話を支援センターの職員に言ったら、ものすごく大きく頷いてくれて、「erikoさんはよく考えてますよね。将来不安ですよね」と言ってくれた。将来、A型などで働くようになった時に、あるいは本当に母が死んでしまった時に、他人の送迎に頼っていたのでは、何も出来なくなるよ、という話だ。絵画教室の先生にも「迎えに行ってあげようか?」と言われてお断りしたけど、そこらへんは私にとってとても重要なのだ。
作業所では「いずれは障害者枠就労で仕事をしたい」と目標を立てていたけど、到底無理なので、A型を目標に格下げしてもらった、みたいな話をしたら、面談の職員が「え、そうかな? erikoさん障害者枠は難しいかもしれないけど、A型ならいけそうな感じだよ」と、作業所の職員と同じことを言うので、ちょっと考え込んでしまった。
作業所の職員も、支援センターの職員も、きっと何人もの精神障害者を見てきた人だ。その人たちがどういう感じで今のB型作業所で働いてきて、どういう人ならA型へ移行できるのか、よく分かっていると思う。そういう人たち2人から「大丈夫」と言われたのは、かなり勇気づけられた。ほんとかな、ってまだ思っているけど、夢や希望は捨てないで持っていたい。

「地元の、家の近くでなくなった絵画教室はまだ通っているの?」と聞かれたので、作業所を休んだ時と同時期に休んだけど、基本的には通ってます、と答えた。
そこで私が、「こういうこと言うと福祉の職員さんには申し訳ないかもしれないけど、人間関係を障害者だけで固めるのは嫌なんです」と話し出した。「この支援センターは、ここはここでとても重宝している。病気のことを隠さなくていいし、薬の情報交換などもできる。作業所に関しても、一般就労ではありえないような緩い条件でも首にならずに働かせてもらっている。でも、付き合う人がみんな障害者、というのでは、世間一般の常識や感覚から離れて行ってしまいそうで怖い。何度も言うが、親が死んだら一般社会に投げ出されるわけで、その時のためにも、一般社会との接点を持っていたい」というような話をしたら、職員が「それはすごく重要なことだと思う」等々、話してくれた。

そして、余裕が出来たら、支援センターの絵画教室にも参加したいとを話した。今はまだ作業所の長期休養から抜けたばかりで、すぐにどうにかできる話では無いけど、次の面談の時までに、1回は参加できたらいいかな、と思っている。まぁこっちは焦らずのんびり考えていきたい。