座間市の9人殺害事件と自殺について

最近ニュースで話題になっている、座間市の9人殺害事件について、少し考えるところがあるので書いておく。
白石容疑者は、自殺願望のある女性、特に少女をTwitterで物色したらしいが、これは本当に怖いなと思った。私は少女ではないし、初対面の異性のアパートに軽々しく上がる、ということはしないので、事件の被害者になることは無いだろうけど、私が鬱になった時にTwitterで呟いている内容が、白石容疑者が好みそうな内容なので、戦慄したのだった。
例えば、お金を払ってでも殺してほしいとか。鬱真っ最中は、見境が無くなっているんだな。でも、世の中には裏社会なるものがあって、きっとお金さえ払えば殺してもらえる、殺してくれる人がいる、と思っていた。今は鬱になってもあまりそこまでの思考の飛躍に至ることは無いし、もし万が一死ぬのであっても、持っている資産は、赤の他人ではなく、甥姪に譲りたいと思っているから、殺してくれる人にお金をくれてやる、ってことは無いだろう。

そこで、この事件を受けて、Twitter社が自殺に関する呟きを取り締まるような規約になった、と聞いた。冗談じゃない、これじゃ気軽に「死にたい」って呟けないじゃん、と思っていた矢先、自殺予防で著名な精神科医、松本俊彦氏が取材に応じた記事を見つけた。『座間市9遺体事件:もしSNSで「死にたい」を見つけたら…精神科医が語る、みんなにできること』だ。松本俊彦氏は、私も名前は憶えていなかったんだが、お顔の写真を見てすぐに分かった。特徴的な眉毛……。よくハートネットTVなんかに登場される、精神疾患の患者の事をすごくよく理解しようとしていることがよく分かる精神科医だ。
松本俊彦氏も、気軽に「死にたい」と呟ける場が無いことのほうが危険だ、との意見だそうだ。私もそう思う。私の場合は、小学生くらいから自殺願望、強い自己否定感があって、高校に入学して1週間で「死にたい」と周囲に漏らしていた。それを聞いた保健室の先生や、何の関係も無い諸先輩方がビックリして、色々と気にかけてくれるようになった経緯がある。その後の高校生生活はとても楽しいものになり、「死にたい」と言うことも無くなった。だから、そういう意味ではあの時の保健室の先生と先輩方には感謝をしている。

それで特に感じるのは、10代の思春期で「死にたい」と言っているのは、ほとんどが「死にたいほど苦しい、しんどい」というだけの話だということだ。10代というのは人生経験もまだ未熟で、成人が言う「死にたい」の重みとは全然違うものがある。周囲の大人が手を差し伸べて、救うことが出来るのが、10代の「死にたい」だと思う。だから、10代はまだ死んじゃ駄目だよ、と言いたい。
これが成人になってくると、ちょっと風向きが変わって来る。私は、こう言ったら申し訳ないが、白石容疑者こそ死なないと解決しない状態に陥っていたんじゃないかと思う。仕事もお金も無いのにアパートを借りて、ヒモみたいに自分より若い女にたかる生活。こんな奴、生きてる価値無いだろう。
それだけじゃない。治る見込みの無い、重篤な疾病に侵され、苦痛にさいなまれる毎日を過ごしている人は、その苦痛から逃れるために死を望むこともあるだろう。いわゆる安楽死案件というやつだ。日本は今、安楽死を認めていないが、私個人としては認めるべきだと思っている。
私も統合失調感情障害という治らない病を抱えているが、安楽死法が成立したら、安楽死を望んでいる。好きなように働けない、買い物にも行けない、そして、眼科の病気により失明の恐怖に晒されている。生きていることが苦痛だ。高校生の頃は、自分がこんな状態になるなんて、予想もしなかった。あの時、死ななくて良かった、と思う反面、今は生きてて楽しいのか?と聞かれると、Yesとは答えられない自分がいる。

障害年金の更新が通った

夕方、日本年金機構からハガキが届いた。2か月に1度の年金の振り込みが終わったのかな? あれ、そんなことくらいで連絡来たっけ? なんだろう? と思って、開封してみると、「診断書の審査結果について」のお知らせだった。審査の結果、従前の障害の状態と同程度云々と書いてあった。要は、障害2級のままですよ、ってことだ。
そして、左面には「次回の診断書の提出について」が書いてあった。そこを見ると、「平成34年6月」と書いてある。この時点で、私はこのハガキが届いた意味がまったく理解できなかった。と言うのも、次回の提出期限があまりにも遠すぎて(だって今平成29年だからね。平成34年といったら5年後だから)、現実感が無さすぎて、このハガキはエラーで届いたものだ、誤記だと思ったのだ。

そこで、過去のブログを検索したところ、なんと今年の6月に障害年金更新の手続きを行っていた。そう、私はその手続きを行ったこと自体を忘れていたのだ。はぁ。ちょっと認知機能障害、酷すぎないか? ちなみに、母は覚えていて、このハガキが届いた意味もちゃんと理解していた。脳ドックでアルツハイマーの危険性がある、と言われている60代後半の母より記憶力が無いって、終わってないか? orz
それはともかく、ブログで状況が分かったので、改めてハガキを読んだが、やはり何度見ても平成34年。そうか5年後更新なのか、と感慨深い思いでいっぱいになった。今まで更新は2回かな? やっているけど、いずれも2年ごとで、こんだけ病歴があるのに、なんで2年更新なんだ、と不満に思っていたけど、ようやくまともに審査された気がした。
と同時に、支援センターでは、仕事内容から病気を隠してクローズドで週2しか働いていない人が、年金を打ち切られたり、パワハラで退職しているのに年金を打ち切られたりしている人の話を聞いているので、なんか偏ってるな、と思った。少しでも働いたらダメなんだろうか? 私の場合は、B型作業所へ通っているが、定期的な通所は出来ていない等々書いてあったと思う。

まぁこれでしばらく障害年金の更新手続きをしなくて済むので、ホッとした。診断書代もバカにならないしね。5年後なら、2年更新の2回分になる。2万円ちかくが節約できて、なおかつ年金が入ることになる。これは本当に助かる。
それにしても、今回のこの結果って、障害年金を審査する機関が変わったとか、基準が変わったとか、関係あるのかな? 多分、ありそうな気がするんだよなぁ。

ハートネットTV シリーズ認知症 当事者とつくる新時代(2)パートナー

先日、伯母が初期のアルツハイマー型認知症と診断された。直接会うようなことは当分無いのだけど、姪として何か出来ることは無いか、知っておかねばならないことは無いか、また母に情報提供するようなことは無いか、と思い、今回のこのハートネットTVの番組を見ることにした。
この番組で言う「パートナー」とは、伯母のケースにはあまり必要では無さそうだけど、Living well with dementiaという概念が統合失調症などの精神疾患にも使えそうだと思った。

Living well with dementiaとは、「認知症とともによく生きる」と訳されるそうだ。番組内では、具体的には「診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態」のことだと、スコットランドの認知症当事者の男性が言っていた。これは非常に意味深い解釈だと思った。
例えば叔母は、もう70歳を過ぎているんだけど、いまだにパートで働いている。若い頃から縫製工場に勤めていて、ミシン掛けの技術に秀でているので、その腕を買われて、社長から懇願されて雇用されている。そして今回、認知症と診断されたけど、解雇されることもなく、また医師からも「辞める必要はない」と言われたそうで、毎日車で通勤しているそうだ。
そう、車の運転もしているのだ。バスも通っていないド田舎だから車が無いと生活が出来なくて、それではく奪されていないだけって噂もあるけど。番組に出てきた丹野さんは、自分から返納したようだが、伯母もいずれはそういう日が来るのだろう。

さて、ではLiving well with dementiaをLiving well with schizophreniaにしたら、どうだろうか?「統合失調症とともによく生きる」だ。「診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態」は、どうだろうか?
私は、大学在学中に初診があって診断されているので、その頃のことを考えると、大学も中退してしまったし、まともな仕事も出来なくなったし、とてもLiving well with schizophreniaとは言い難い状態だ。何よりも苦痛なのが、本が読めなくなってしまったこと。音楽も2012年に統合失調症と診断された当時は、とてもじゃないが集中できなくて、聞けなかった。それが、最近はiPodを買ったこともあって、流し聞きが出来るようになってきた。なので、慣れだったり、訓練したりで、出来るようになるのかな、とは思うんだけど。でもやはり、本を読むのはなかなか骨が折れる。理解できない、頭に入ってこない、目が滑る、そんな感じだ。
ブログ村の統失カテなんかを見ていると、文字通り「診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態」で維持している人が、ちらほら見受けられるので、そういう人は発症から治療までがスムーズかつ迅速だったんだろうな、とか思ってしまう。あとは、私が登録している統合失調感情障害のカテには、統失カテより酷いというか、重めな人が来ているなぁと感じる。

でも、やはり理想は、Living well with schizophreniaでありたい、と思う。出来ないからといって何もしないでいては、どんどん出来なくなっていくと思う。音楽が聴けるようになったように、本も少しずつなら読めるようになってきていると、若干だが実感している。老化が速いか、リハビリが速いか、という状態だが、何もしないよりかはマシだろう。

『統合失調症の患者がカモにされる現状に憤り…探偵会社が医療機関につなぐ新たな試み』という記事を読んで

弁護士ドットコムというサイトで、およそ関係無いと思われる統合失調症の患者についての記事が出ていた。『統合失調症の患者がカモにされる現状に憤り…探偵会社が医療機関につなぐ新たな試み』というものだ。
少なくない統合失調症患者、あるいは精神疾患を持つ人は、この会社のことを知っていると思う。NHKのバリバラやハートネットTV、あるいは夕方の民放ニュースでも取り上げられたことがあると思う。私個人は、どこの番組だったか忘れたけど、それでも、こういう統合失調症患者を医療機関へ繋げるサービス(?)をやっている探偵会社がある、という情報は持っていた。

私もそうだったが、統合失調症患者の多くは、病識が無い。妄想や幻聴の病的体験を実在のものと思い込み、「私は病気じゃない!」と言い張る。それを無理に病院へ連れて行こうとすると、暴れたりする。私は、病院へ連れて行かれる前の段階、「お前おかしいぞ」と父親に言われただけの段階で、父を小刀で刺そうとしたし、タンスをドア前まで移動させて(よくそんな馬鹿力が出たもんだと思うが)バリケードを築いたりしていた。
よくTVで見る統合失調症患者は、電磁波攻撃を受けているとか、監視されている、集団ストーカーを受けている、といったものが多かった。今、ブログ村でもまさにその症状なんだろうな、という人がいて、家族・医者は何をやっているんだろうな、と思ったりする。恐らく、この探偵会社でも、そういう人を主に扱っているのだと思う。

しかし、薬物治療をしていない統合失調症患者の妄想・幻聴を否定して、病院へ連れて行くことは、はっきり言って物凄く難しいと思う。記事中でもそのことが触れられていた。多分、家族に見放されている患者もいると思われる。長年、妄想・幻聴からくる異常行動により、家族が迷惑を被っていて、もう関わりたくないと考える人がいてもおかしくない。そういうことも、この病気の問題を難しくしているのだろう。

統合失調症は、もっともっと世間の知名度を上げていかなくてはいけない病気だと、つくづく思う。私自身、メンクリで病名を告知される時まで、ニュースで名前を聞いたことがあるだけで、詳しい症状については知らなかった。
うつ病は、今や誰もが知る病気となった。まぁなかにはいまだに「怠け病」と言っている人もいるけど、大方の人は「気分が落ち込んで、死にたくなったりする病」と捉えていると思う。統合失調症も、約120人に1人が罹患する、とてもありふれた病気で、あなたの街にも何人も患者がいるんですよ、ってことが言いたい。

再発の定義が知りたい

私は統合失調感情障害だけど、情報があまりにも少ないので、普段は統合失調症と躁鬱病、2種類のコミュニティを覗くことが多い。中でも統合失調症のコミュニティをメインに見ているのだけど、いつも思うのは「再発とは何か」「再発の定義は何か」ということだ。みんな一様に「再発が怖い」と言うし、医者のほうも「再発させない」という方針で診察をしていることが多いように見受けられる。
だが、肝心の「再発の定義」が私には分からないのだ。普段服薬する薬だけで症状が抑え込めず、日ごろからちょろちょろと症状が出てしまう私は、常に再発している状態なのだろうか? それとも、その程度なら寛解しているとでも言うのだろうか?

私の状態が「寛解」であるとは、ちょっと考えにくいのだけど、どうなんだろう? 今は作業所も習い事も休んでいるし、それ以前の作業所も、週1日しか通えなかった。月水金と週3日用事が入っている状態が何か月も続いただけで、精神的に参ってしまい、作業所や習い事を休まないといけないほどのダメージを負ってしまった。これは一体どういう状態なのか? 主治医も「再発ですよ」とか言わないので、何なのか分からなくて凄く不安だ。

ハートネットTV WEB連動企画”チエノバ”▽精神科病院の”身体拘束”を考える

7日に放送されたEテレの『ハートネットTV WEB連動企画”チエノバ”▽精神科病院の”身体拘束”を考える』を録画していたので、見た。
Twitterでも事前にWebへの投稿を募集していて、いくつか読んでいたが、本当に嫌な思い、つらい思いをした人が多くて、驚いた。冷静に考えれば、身体拘束は必要だった、と言っている人も中にはいたが、少数派だった。

私自身は精神科への入院経験が無く、当然ながら身体拘束もされたことが無い。だから、どんなものかはあまりよく分からない。YouTubeで見たり、それこそこのハートネットTVやバリバラ、あるいは夕方のニュース番組の特集で見たことくらいしか無い。
見ただけの感想では、やはり急性期には身体拘束もやむを得ないのではないか、と思っていた。特に、支援センターで躁状態が酷くなり、大声を出した人と同じ空間に居合わせた時に、「誰か早くこいつを救急車に乗せて入院させて!」と思った。この時の「入院させて!」は「身体拘束させて!」とほぼ同義だ。
この考えは、番組を見ていても変わらなかった。精神科医の斎藤環さんが、「拘束しなくても治療できる、オープンダイアローグという手法がある」とおっしゃってて、これは斎藤環さんのTwitter等での発言と変わらないのだけど、私個人では、オープンダイアローグというものをちょっと胡散臭いと思ってる。
精神科医である斎藤さんが、精神科医療の修羅場をくぐり抜けて、それでもなお「オープンダイアローグがいい」と言うのだから、よほど効果があるのかもしれないけど、私が若い頃、症状が炸裂していて暴れたりしていたころに、斎藤さんみたいな医師から「話し合いましょう」と言われても、話し合いにならなかったと思う。むしろ殴っていたと思う。
実際問題、斎藤さんも殴られたことが何度もある、と言っていたけど、それは治療者のほうが「拘束してやるぞ」というような圧力を患者に与えていたからで、患者は悪くない、と主張していたので、驚いてしまった。どこまでお人好しなのだろうか? 精神科の救急外来に来るのは、そんな聞き分けの良い患者だけではないと思う。それこそヤクザが覚せい剤中毒で、暴れまくって来ることもあるだろう。そういうときでも、斎藤さんは同じことを言えるのだろうか?

ただ、そんな私にも唯一、解せないことがあって、「措置入院だからとりあえず拘束しておくか」みたいな、なんというか流れ作業的に拘束されてしまうことがあるのが、それはおかしいな、と思った。
また、拘束の上限時間・日数が無いことにも、違和感というか不満を覚えた。これじゃ患者を暴力で抑え込んでいると言われても仕方がない。でも、どうなんだろうな? 薬物で患者を鎮静化させるのはOKで、物理的な身体拘束はNGなの? なんか、似非人権派みたいな気がする。

ハートネットTV「生きるためのTV▽仕事がつらい、死にたい、働くって何?」

インタビューに応えていた25歳教師のハムさん、もう少し自分で工夫したほうがいいんじゃないの?と思った。誰も、給食食べるのも我慢して子供の面倒を見ろなんて言ってないよね。教師が給食を食べている時に、子供たちが寄ってきたら、「先生はまだ給食を食べているから、終わったら遊んであげる」って諭すのも、教師の仕事じゃないの? 無条件に子供の要求を受け入れようとしたら、そりゃ潰れますよ。
水も飲まない、トイレにも行かない、って人間としてどうなの? 基本的な生理現象を止められるの? こういう人、たまにいるけど、私は強い尿意を感じたらそれを止められない。話盛ってるだけで、実際はそんなこと無いんじゃないか、って思ってしまう。だって不可能だもん。朝から夕まで1度もトイレに行かずに過ごすって。水飲まなくたって、給食という食べ物の中に水分入ってるでしょ? そしたら、尿が作られるよ。
「申し訳ない」を連発していたけど、これは恐らく抑うつ状態、あるいはうつ病なのだと思う。なんか、うつの時って自分が存在してはいけないような気になるんだよな。上に書いていたこともそうだけど、ハムさんは自分を責めすぎ、追い詰めすぎだと思う。まぁそれが病気なんだと思うけど。そう、精神的な病気なんだと思う。だから、対向車が突っ込んでこないかなーとか思ってないで、早く病院へ行ってほしい。
つくづくこの「申し訳ない」は、聞いていてイライラした。なんか、お前がいることのほうが迷惑だよ、休まなくていい、もう教師辞めちまえ、と思った。

2人目のあおさんも、「申し訳ない」と自分で自分を追い込んでいた。これマジ見るのつらいわ。ほんとイライラする。自分もそういう時期があったから、余計にこの人たちの気持ちが分かる。
特にこの女性は、親からの教育の影響があると考えているみたいで、親から怒られる時に「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われたとか、言っていた。私もまさに同じセリフを言われて育ったので、やっぱり似たような親の元に育つと、うつ思考に陥りやすくなるのかな、とか考えてみたりした。
「辞める」の前に「死にたい」があるのは何故か、という問いだけど、そこだけは私も理解ができない。仕事に関しては、嫌なら辞めればいいじゃん、と軽く考えている。だって世の中、仕事の数なんてごまんとあるんだよ? 私だって、性に合わずに1週間で辞めたバイトがある。そこはさすがに職歴にはカウントしてない。でも、自分の中では「あぁこういうタイプの仕事は、私には合わないんだ」と知ることが出来て、良い経験だったと思っている。それくらい、仕事を利用してやる、くらいに思ってないと。
やっぱりこの人もかなり病気だよね。聞いててイライラした。

3人目のAさんの言ってることが重すぎて、これもまたきつかった。死んだらダメ<仕事辞めちゃダメ。……。ありえないだろ。でも、一般社会にそういう考え方が蔓延しているのは、すごく感じる。
この人は最終的にはこの考えから脱却できて、「自分で考えたことで動くからこそ生きていけるんだな」という考えにまで至ったと話していた。なんかそこは、私には無い領域だったので、「そうなのか」と思った。やっぱりなんといっても私は、親からまだ自立できていないからね……。働いて収入を得ること、一人暮らし出来る程度の金額を稼ぐことは、多分今後も出来るようにはならないだろう。そう考えると、普通に働ける人が本当に羨ましいと思う。

ココズレ2「ココがズレてる健常者2~障害者100人がモノ申す~」

統合失調症の茶ボーズさんの話がとても面白かった。街で独り言を言っている人を見かけたらどうするべき?という問題だが、放置していい、が正解だった。私もそう思う。他の統合失調症の参加者に聞いても、下手に話しかけられると、それが刺激になって感情的になる可能性があるから、そっとしておいて欲しい、と言っていた。これもまったく同感だ。
このことに対して、ゲストの芸人たちは、正直に「なんか危ない人だと思うから、怖くて声をかけられない」等と言っていて、これが世間一般の意識だろうなぁと思った。だって、患者の私ですら、そんな街中で独り言言っている人がいたら怖いもん。実際、メンクリで独り言を言ってる女性が隣に座ってきたら、本当に怖かったし。どう接していいのかも分からないし。これは偏見というより、本能的なもんだよね。危害を加えられるかもしれない、という。
精神障害者や知的障害者は、身体障害者と違って、「危ない」という感想を持たれることが多いと思う。知的障害者(児)は、今は養護学校へ行くのでも送迎バスがあるみたいで、滅多に知的障害児を見なくなったけど、つい20年くらい前までは、母親が送迎をしているのをよく見かけた。当時、うちの近所で知的障害児が母親を、建築現場の鉄パイプで殴って血だらけにしているのを見たことがあって、バス停で待っていた成人男性たちが、助けに入ったことがあった。そういう経験があると、知的障害者は怖い、と反射的に思ってしまう。

脳性まひなどの障害者の真似をしてもいいのか?という問題に対しては、これは重い問題だなぁと思った。私も一応、障害のある人の真似をしてはいけません、という教育を受けたほうなので、もし親の立場だったら、真似はしなかったと思う。
またうちの近所にも、脳性まひの2年上の先輩男性がいて、中学までは私たちと同じ普通学級に通っていたため、よく知っているんだけど、やっぱり誰も真似しなかったからねぇ。それどころか、いじめも無かったと思う。

障害をカミングアウトする問題も、なかなか難しいなと思った。
私個人は、支援センターや作業所でも病名まで教えている人はそんなに多くない。逆に、病名を知っている人もそんなに多くない。ただ、お互い精神疾患があるよね、くらいの認識でしかない。
さらに、絵画教室でも先生にはカミングアウトしていない。このことについては、メンクリの主治医は意外だったようだ。「教えてないので」と言ったら、「え、そうなの?」と驚いていた。支援センターや作業所でも、そのことを言うと皆一様に驚く。詳しく突っ込まれたことは無いが、多分「カミングアウトしていなくて、やっていけるの?」と言いたいのだと思う。
絵画教室に関しては、今のところカミングアウトしなくても十分にやっていけてる。カルチャーセンターのようなところではなく、個人の先生がやってる教室で、先生自身も絵画教室以外にパート勤めをやったりして、忙しいそうだから、急に休んだり、その振り替えを入れたり、というのは結構融通が利くようになっている。婦人科の手術の時も1か月休みをもらったし、ほかにどうしても体調が悪かった時は2か月休みをもらったと思う。
一番困るのは、美容院かな。「お仕事は何されてるんですか?」という質問が本当に苦痛で、先日パーマをかけてもらった所は、その質問をしてこなかったのでホッとしているんだけど、やっぱり会話がいつそういうのになるか、ビクビクしてしまう。

この番組は、前作パート1も見ているんだけど、今回のほうがこなれてきたというか、番組がまとまっているように感じた。特に序盤で統合失調症という精神障害を取り扱ってくれたのも大きい。24時間テレビもそうだが、障害者=知的・身体、しか扱わない世間一般のことを考えると、精神まで扱ってくれるのは、非常に嬉しい。

バリバラ「バリバラジャーナル 見え始めた精神医療の実態」

バリバラ選、つまり再放送だが、「バリバラジャーナル 見え始めた精神医療の実態」を録画していたので、見た。
前半は、精神疾患の患者が「精神病」というレッテルを貼られた途端、一般社会で生きていくことを許されず、精神科病院に放り込まれる現実を描いていた。40年、50年と精神科病院に入院「させられた」患者たち。見たところ、意思疎通が出来ないわけでもなく、この程度だったら、福祉のサポートさえあれば、地域で十分暮らしていけるのではないかと思った。
特に「俺、入院してたから、何も出来ない」という男性患者が印象深かった。入院していなかったら、一般社会で一人暮らしをしていたら、料理は難しいかもしれないけど、洗濯くらいなら出来るようになっただろうに。長い入院生活は、患者から「生きるちから」を奪うのだと痛感した。
ただ、いわゆる急性期の患者には、入院施設は必須ではなかろうかと思った。私自身は、精神科への入院経験が無いので、想像や伝聞でしか語れないのだけど、もし、最初の大学時代に通っていたメンクリで、医師の前で興奮状態に陥った時に、すぐ「鎮静剤の注射」ではなく「措置入院」の対処が取られていたら、もっと違った人生になったかもしれない。まぁ悪い意味で違った人生になっていたかもしれないけど。

番組では、福島の矢吹病院という所が取材されていた。原発周辺にあった精神科病院に入院していた患者が、原発事故で県外へ転院し、また福島に戻ってくるために、矢吹病院が一旦受け入れることになっているそうだ。
でも、なんで患者の多くが、「もし入院してなかったら、結婚とか仕事とか出来たと思う」って言うんだろうねぇ? それ、今時健常者でも難しいのに。まともな収入の無い精神障害者の男性が、簡単に結婚できるわけ無いだろうに。そこらへんの現実感の無さが、まさに長年の入院で麻痺してしまった所なんだろうねぇ。
矢吹病院の医師が、「家族が入院を望んでいる」的なことを言っていたのが印象的だった。ほかにも、患者の家族へのインタビューが何名が出てきたけど、揃って「家には置いておけない」「家で面倒が看られない」等を言っていて、なんかモニョった。精神疾患の患者は、認知症の患者と似たような感じなのかもしれない。本人への意思確認が疎かにされがち、という意味で。患者が「家で、地域で生活したい」と言っても、家族が「無理」と言ったら、入院させられてしまうのだ。
でも、多分、今はそうはなっていないと思う。というか、そう思いたい。私が通う支援センターにも、結構症状が重めの人がたまに来るけど、訪問介護などを受けて、なんとか地域で暮らしているようだ。みんながそういう風になれればいいと思うんだけどね。
なんか、「真面目にやってれば退院できるから」と思って暮らしてきた女性が、まるで刑務所にいる受刑者のようで、精神科病院って何なんだろう、と愕然とした。
また、知的障害者が精神科病院に入院させられているケースが結構ある、というのも驚いた。なんだろうな、この矢吹病院の医師は、すごく良心的だなと思った。無駄に入院させて患者から医療費を巻き上げようってタイプの医者じゃない。ちゃんと患者の疾病を見極めて、「この人は精神病じゃなくて知的障害だから、それに合ったサポートをしてあげるのがいい」と判断している。これからの精神科はこうでなくちゃ、って思った。

後半、時男さんという約40年入院していた男性が出てきた。この人もぱっと見は障害者に見えない。むしろ、ダンディーな雰囲気で、テレビでも言ってたけど、熟女にモテそう。
この人は最初、ATMの使い方や切符の買い方も分からなかったそうだが、サポートスタッフに付き添われて、社会復帰をしていったようだ。今は「普通の生活」をエンジョイしているようで、良かったなぁと思った。とても40年近く入院していた人には見えない。
時男さんの弟さんがテレビに出てきたけど、音声を変えてて、そのあたりからして、精神病に偏見があるんだろうな、と分かった。言ってる内容も、偏見に満ちたもので、家族に理解されていないというのがこれほど悲しいことなのかと、改めて痛感させられた。

ハートネットTV『障碍者施設殺傷事件から1年』

Eテレの番組、ハートネットTV『障害者施設殺傷事件から1年』を昨日今日と見ているんだが、溜息が出る。私は、犯人である植松聖の意見にほぼ同意する。意思疎通のはかれない重度知的障害者は、生きている価値が無いと思う。同様に、意思疎通のはかれない重度精神障害者も生きている価値が無いと思う。
私は精神障害者で、通っている支援センターでごく稀に、障害者手帳1級だろうな、という人を目にする。向こうから話しかけてくるから、会話に応じようとするけど、相手が話す内容は「言葉のサラダ」状態で、何が言いたいのかまったく理解不能だから、コミュニケーションが成立しない。結局、話は聞き流すことになる。こんな経験は、いまだかつてしたことが無かった。支援センターで初めてそういう人に遭遇して、「この人、生きてる意味あるのかな?」と思った。
ご家族の話も伺えた。入浴も、食事も、自力では何もできない。全部親が手伝っていると。常に幻聴が聞こえている状態だから、食事中に幻聴にそそのかされて、食事を中断することもあるらしい。そういう人が果たして生きていていいのか? そりゃ親はわが子だから、生きていてほしいだろうけど、親が死んだあと、どうするつもりなのか?
支援センターへ来るのも、自力では不可能らしく、毎度毎度高齢の父親が送迎している。「2時間後にまた来ます」と言った父親の晴れ晴れとした表情を見ると、いかに普段、家で娘の相手をすることが苦痛であるかが分かる。実際に、母親から「ここは助かる。2時間でも預かってもらえるから。その間に家の掃除ができる」と言われたことがある。ここ(支援センター)、そういう施設じゃないんだけどなぁと思った。あなた方親が支援センターに娘を預けている間、同じく支援センターを利用している精神障害者は、あなたの娘のお守りをさせられてるんですけど、と思った。

昨日の番組だったかな? 重度身体障害者で、アパートでの一人暮らしを実現するために、ヘルパーが8人も割り当てられているそうだ。8人だよ? たった1人の、それもなんの生産性も無い、息して飯食ってウンコして寝るだけの生き物に、若い男性8人もの労力が割かれている。なんという無駄だろうか。その8人が、クロネコヤマトの運送をしたほうが、よっぽど世のためになるんじゃないか?
そこまでして、重度身体障害者は生きていたいのだろうか? 贅沢すぎないか? 自分のために、どれだけの税金が使われているのか、考えたことがあるんだろうか? おそらく障害年金だけでは自立した生活は送れない。生活保護をもらっていることだろう。その原資はなんだ。税金だろうに。健常な人たちが汗水垂らして働いて収めた貴重な税金を、福祉施設等の集団生活は嫌、プライバシーが無い、等の個人的なわがままで、湯水のごとく使うのはいかがなものなのか。
今日出ていた母子だってそうだ。親が子供の面倒を看ているうちは、勝手にすればいい。だが、親が死んだらどうする? 社会保障・福祉のお世話にならざるを得ないことは分かり切っているだろう。それを厚かましくも「将来のことは考えない」とか、よく言えたもんだな、と思った。