ハートネットTV「身体拘束のない国へ~ニュージーランドからの報告~」

2017年に、興奮状態により身体拘束されたニュージーランド人をめぐる問題についての話だった。
被害者の父親が出てきて、「体は健康だった。ただ、精神的に錯乱していただけ」と言ったが、それを日本では「精神病」という病気にカテゴライズするのだよ、と思った。恐らく、母国のニュージーランドでも精神病に相当すると思う。
なんか、この時点で「この事件は日本を叩きたいだけの人たちが大ごとにしているんじゃないか?」と思ってしまった。

被害に遭ったケリーさんは、子供たちに英語を教える教師として来日したそうだけど、精神疾患を抱えたまま来てしまったらしい。やっぱりこの時点で、普通じゃないと思う。精神疾患の持病があって、日本でどういった治療が受けられるのか、下調べもせずに来日してしまったケリーさんにも、落ち度があるのではないか。
持病があるのに、母国を離れて働きに行こうと思うもんかね? 行った先の国で、母国と同じ医療が受けられると思うのかね? 私は悪いけど、思わないね。たとえばアメリカだったら、些細な病気でも莫大な治療費を請求されると知られているから、旅行くらいなら行っても良い。でも、私みたいに精神科以外にも複数の診療科にかかっている人は、アメリカには住まないほうが良いと断言する。

身体拘束は良くない。それは確かにそうだろう。でも、実際問題、精神疾患の症状の最中、激昂しているような人に対して、落ち着くように言葉で諭しても通じないことは絶対にあると思う。
私自身、若くて精神状態が非常に悪かったころ、野球部だった弟の木製バットを家の中で振り回し、親父に殴りかかった。親父はゴルフクラブで応戦した。家庭内は無茶苦茶だった。この頃の記憶はあまり無いし、思い出したくも無い。
もしこの時、救急隊員が来て「落ち着いて」などと言ってきても、多分通じなかったと思う。だって、当時通っていたメンクリですら、看護師2名で私をガッシリ羽交い絞めにして、鎮静剤を打っていたのだから。
それを知っているから、症状によっては身体拘束もやむを得ない、と私は思う。

ケリーさんがニュージーランドで受けた治療というのは、うつ状態の時だったようだ。それに反し、日本では躁状態の時。そりゃ受ける治療や処置に違いが出ても仕方がないだろう。
それをあたかも「日本の治療は野蛮で、世界標準から外れている」と決めてかかるのは、いかがなものか?

父親自身が、日本で息子が「危険なほど支離滅裂で、制御不能な状態」になったと言ってるのに、どういう治療をしてもらえると思ったのか? 優しく寄り添ってもらえるとでも思ったのか? 日本の精神科医療は、残念ながらそういうものでは無いんだよ。
それは改善すべきことだと、いろいろな精神科医療の関係者が言っているけど、たった1人の患者のために、何人もの医療スタッフを割り当てられるほど、日本の精神科医療は充実していない。これが現実だ。
病院に到着したときは暴れていなくても、何かちょっとした刺激で興奮することも十分あるのが、この精神疾患というやつなのだから、私は病院の判断は間違っていなかったと思う。医療スタッフに被害が出てからでは遅いんだよ。

こういうことを書くと、精神病者の人権は~って言いだす人がいるだろうけど、じゃあ健常者の人権はどうなんだ、って話。心神喪失の人が犯罪を犯しても無罪になることからも分かるように、精神病者が医療スタッフに暴力をふるっても、医療スタッフは泣き寝入りだ。それで医療スタッフが離職したら、誰が責任を取るのか?

そこで、ケリーさんがニュージーランドに住んでいた頃入院していた病院へ、杏林大学の長谷川利夫教授が行くわけなんだけども、この長谷川教授が曲者で。精神科医じゃないどころか、医者ですらない。ただの保健学の博士。所有資格は、作業療法士。これで精神科医療の専門家と言われても……。
と考えると、この番組は「身体拘束反対」が言いたくて作ったとしか思えないんだよね。いや、誰でも彼でも身体拘束せよ、とは思いませんよ。でも、申し訳ないけど必要な人もいると思う。番組では「ディエスカレーション」という技法が紹介されていたが、統合失調症的に支離滅裂な興奮状態にある人を、言葉だけで落ち着かせるのは不可能だと思う。

イタリアもそうだけど、人口の少ない国で精神科医療を開放する方向にもっていくのは、そんなに難しいことでは無いのだろう。しかし、人口規模が1億人を超えている日本でそれをやるのは危険だと思う。
番組内で「ピリポノ」という施設が出てきたが、看護師が12時間労働している。働きすぎだろう。いいの? それ以外にもスタッフが何人もいて、この施設を運営するのに一体いくらかかるのか?といった感じだ。

特にこれはマズイと思ったのが、幻聴が聞こえる患者に対して、「どんな声が聞こえるの?」等、幻聴について詳しく聞いて、ほじくり返すことだ。これは確か、今の標準医療ではやってはいけないことだったはず。
ただ「べてるの家」は「幻聴さん」とか言って、幻聴や幻覚、妄想をほじくり返す作業所をやっている。でもあれは向谷地さんがいるから出来るようなもので、ただのピア・スタッフが1人でやっていいこととは思えない。
この女性は「ギャングも扱ってきた。女には出来ないと言われたけどね」とドヤ顔で言っていたが、「それ言いたいだけちゃうんかい」って感じだった。海外にも居るんだなぁ、こういう人。

そして、この番組を見ていてずっと不思議に思っていたのは、肝心の精神科医が1人も出てこなかったこと。何故? 精神科医療に関する話題なのに、どうして精神科医を出さないのだろう?

ハートネットTV 変わり始めた精神医療2▽治療の最前線 オープンダイアローグ

録画していた『ハートネットTV 変わり始めた精神医療2▽治療の最前線 オープンダイアローグ』を見た。

予想していた通り、斎藤環さんが登場された。この人、第一人者と言っても良いのでは? 凄いよね。
オープンダイアローグって、簡単な言い方をすれば「薬や入院に頼らない、対話主体で治療する」的なことと言っていたけど、今の主治医の治療は、わりと「対話重視、会話重視」な感じがする。
医師と患者の関係も、限りなく対等に近づいている、という話だった。うちの主治医も「本当に医者なの?」と思うくらいにフランクで、「患者と同じ目線で話してくれる」感を凄く強く感じる。
なので、主治医はこのオープンダイアローグを実践しようとしているのかな?なんて思っていたんだが、番組中に「リフレクティング」という、医療の専門職が一同に会して、患者の目の前で治療的な話をするシーンが出てきて、「あ、これは違う」と思った。

番組では、統合失調症型障害の患者が出ていて、母親と一緒に治療に来るんだけど、話しているうちに喧嘩になってしまう、と言っていた。うちと一緒だ……。
でも、そこには「安心して喧嘩できる」信頼性に基づいているのではないか、という専門職の意見が出て、自分でも薄々気が付いてはいるんだけど、「そうかもな」と思わされた。喧嘩にも「質」がある、という考え方だ。
憎しみあって喧嘩する場合もあるだろうが、甘えから来る喧嘩もある。私は母親に対しては、甘えからくる喧嘩だと思っている。どれだけ私が暴言を吐いても、母は私の母でいることを辞めないだろう、という甘え。

ところで、引き続き見ていると、医師が個人的な、プライベートな話をして、患者と一緒に考えていく、という治療スタイルがあって、それもやっぱり私の主治医と被ってるんだよな~と思う。主治医はちょいちょい家族の話や、自分の学生時代の話など、本当に個人的な話をすることがある。表情なんかも豊かで、私が変なことを言ったら爆笑してくれるし、嫌がられるだろうなって話をすると、苦い顔をしている。さすがにそれは、素直に感情を顔に出し過ぎ!と思ったけど。
ただ、今迄のメンクリ経験でいったら、そういう医者は皆無だったので、やはり主治医は何か狙ってそういう診察スタイルをやってるんじゃないかなーと思う。うがちすぎかな。

斎藤環さんが「従来の医療というのは、薬物治療が進歩すれば、うつ病も統合失調症も治る」という目標があったが、それがどうも実現できないような状況なのと、「精神病の患者は問題行動を起こす」というスティグマを、精神科医ですら結構持っている、という話をされていて、「結果的に入院中心主義」になる、とまとめていたのが印象的だった。要は、いまだに日本の精神医療は「管理型」なのだ。

上述の患者は、オープンダイアローグを受けた結果、自動車教習所に行き始めたという。斎藤環さん曰く、こういった変化は薬物治療だけでは出てこない、薬を飲んだからといって何かしたい気持ちになったりはしない、とのことだった。
私は軽躁の症状もあるので、軽躁期になると、何か新しい事を勝手にし始めたりしちゃうんだけど、純粋な統合失調症患者で陰性症状の強い人は、薬物治療だけでは本当にやる気が出ないだろうなぁと思う。双極性障害でも、うつの強い人はやはり同じようにやる気がでないみたいだし。

そしてこれは、自分としてはかなり重要な概念なんだけど、「モノローグ」という概念があって、1人で自問自答したり、堂々巡りに陥っていることがある、その状態を言うのだそうだ。「ダイアローグ」と対義語かな? この状態を放っておくと、どんどん妄想的になったり、こじれていきやすい過程らしい。
なんかこれは分かるなーって気がする。1人でいるとホント良くないんだよね。ここ数か月、うつが酷くて殆ど家に居て、話す人もろくにいなかったんだけど、それで社会性が著しく落ちた、という実感がすごくあって、それは新しい作業所(3)の責任者にも話した。だから、週1日でもどこか通うところが欲しい、と思っている。

終盤、統合失調症の重めの方が出てきて、「(みんなが)困っていることが、(自分も)困っている」みたいなことを言っていて、あぁどんだけ精神病に侵されても自分のことは分かってるし、相手のことも分かってるんだな、と思った。
もちろん、本当に心神喪失状態に陥る時もあるだろうけど、きちんと治療していたら、ある程度の正気(という表現が適切かどうか分からないが)は保っていられるような気がする。

最後にまた斎藤環さんが登場し、周囲の人がいないと「モノローグ」的になっていく、悪循環だ、という話をされていた。
それが、上述のように近所の人も含めた「ダイアローグ」で、近所の人も心配していることが分かって、思い込みや妄想的なものを緩和する効果が高いようなことを言ってらした。

日本の精神医療では「ケースワーク」が足りていない、という話もあった。医者が出す薬が変えられるのは脳の状態だけ、カウンセリングで変えられるのは心理状態だけ。ケースワークは「環境調整」で、その人の生活環境に介入することを指す、と。そうすると、関係が良くなるだけで症状が消えることも起こりうる。

斎藤環さんの話は若干専門家向け(医療者向け)なので、少し飛ばしてしまったけど、非常に考えさせる番組だったし、心にしみた。

ハートネットTV 平成が残した”宿題” 第7回「障害者の地域生活」

障害者が地域で暮らすことについての番組だった。取り扱っていたのは知的障害者だが、精神障害者にも応用できる話があると思ったので、感想を書いてみたい。

最初に、グループホームの話が出てきた。昔は、いわゆる入所施設で管理されながら暮らしていた障害者が、平成元年に知的障害者が地域で暮らせるようなグループホームの法律を作ったそうだ。今32年だから、この制度は約30年の歴史があることになる。

次に、実際のグループホームの話。知的障害者を対象としたグループホームだ。食事なども障害者自身が協力して作っているようだった。見た感じは、軽い知的障害なのかな?
でも、自分としては、こういうグループホームはちょっと嫌だな、と思った。少人数でも共同生活というのがキツい。こんなの、自由な暮らしじゃない。食事が自由に選べないのは苦痛だ。

そこでふと昔の話が出てきた。
実は私のうちの近所(というか中学の先輩)に、脳性まひで軽い知的障害がある人がいる。高校に進学した、という話を聞かなかったので、どうしたんだろうと思っていたら、養護学校へ進学し、卒後はすぐ山奥の入所施設に入ったそうだ。作業所も併設されているような所で、敷地から一歩も出ずに生活が終わる。
多分、昔はこういう障害者がほとんどだったと思う。だから、そこから比べたら、グループホームは天国のような自由さがあるのだろう。

昭和から平成初期の頃のグループホームの話になった。私が利用している福祉法人が運営しているグループホームが、定員6名なんだけど、それってどこから来た数字なのかと思っていたら、「一般的な家庭の人数」だそうで、いやいや、そんな多くない、と思ったけど、うちにも一家6名の時代があったことがあり、あながち間違ってはいないかな、と思った。
ただ、一家6名の頃はかなり生活が厳しかった。弟も食べ盛りの頃だったし、単純に食費がめちゃくちゃかかる。お風呂も順番と時間を気にしないと深夜に回され、ドロドロになった湯船に入るしか無い。ってういか、そういう時は湯船にはもう入らなかったけど。朝はトイレの争奪戦だし、とにかく大変だった。
これが、まだ血縁関係がある人同士だから、なんとなく喧嘩にもならずに(母と姑である祖母は喧嘩していたが)うまく回っていたけど、赤の他人同士が6名で暮らすのは、ちょっと無理があるんじゃないかなぁと思った。

グループホーム設置のハンドブックが作成されたという話では、原則として一般住宅地内に設置し、グループホーム同士がかたまるようなことが無いように、普通の生活を目指す、という基準が設けられたそうだ。
しかし現実はその通りにはならなかった。まず、グループホームに入るには、収入のある人、働いている人、障害の程度が軽い人、などが条件だった。当たり前と言えば当たり前なんだけど、自立自律して生活するには、こういう条件が付いても仕方が無いと思う。

そんななか、意欲的な取り組みをする法人が現れた。重い自閉症で言葉でのコミュニケーションが難しい障害者も受け入れるグループホームが出来た。ただ、支援するほうはとても大変そうだった。福祉職の人にしてみれば、大したこと無いのかな……。
こんな良心的な法人でも、前述のハンドブックで規定された設置条件は満たせなかった。まず立地を見たが、民家から程遠く、荒れ地の中にぽつんと建っているような状態。建設の段階で地域住民に受け入れられず、そうならざるを得なかったようだ。
その点、私の利用している福祉法人のグループホームは、本当に住宅地のど真ん中にある。あまりにもど真ん中過ぎて、これがグループホームだと言われなければ気が付かない。本来なら、こういうことが望ましいのだろうな……。

倉敷の法人が、大型のグループホームを作ったというが、それって昔の入所施設とどう違うの?と思ってしまった。だって、仕事場も、同じ法人が設置してて、街中から離れていることもあり、休日は外出することも無いって。これじゃあ昭和に逆戻りでしょう……。ちょっと酷いな。
理事長のオッサンは満面の笑みでテレビに出ていたけど、そんなに自慢できるようなことではないよ? 確かに、受け入れる人手や施設数の問題はある。前述のハンドブックは理想論だと私も思う。でも、形を変えた昭和の入所施設になることだけは、避けるべきじゃないのか?

ハートネットTV LIVE相談室 チエノバ「障害者雇用 働く現場でのお悩み」

3/7、Eテレで『ハートネットTV LIVE相談室 チエノバ「障害者雇用 働く現場でのお悩み」』をやっていたので、録画を見た。
LIVEということで、Twitterと連動した生放送だったんだけど、私は生放送あまり好きじゃ無いので、録画にした。

障害者の労働相談などを受けている久保さんが、障害者雇用のことを「障害者は雇用契約の当事者だ」と言い切ったのが、とても印象深かった。要は、障害者といえども、それに甘えることなく、会社や上司に対して、して欲しい要求はしっかり伝え、また上司や先輩から要求されたことについては、出来る範囲で対応する姿勢や努力が求められているのではないかなぁ、ということだと思う。
例えば、発達障害の人は電話応対が苦手だとよく言われているけど、まったく触らない、というのは、ちょっとどうかと思う。電話に出て、話をあれこれすることは出来ないが、取り次ぐだけならなんとか出来ないだろうか? 勿論、「だったら電話に出なくても良いですよ」という職場もあるだろうけど、「出てもらわないと困る」という職場だったら、その職場は諦めるしか無いのではないか?

次に、自分が苦手としていることを上司に伝える際に、どうして良いか分からない、伝える努力をしても伝わらない、という問題。これはフリップの吹き出しの絵を見て、「こんなんじゃ上司もどうしていいか分からないよ」と思った。あれだと、自分の特性を自己紹介しただけで、「具体的にどうすればあなたは仕事がやりやすくなるのですか?」という上司の問いに答えていないことになる。
ここでも、相手に「しっかり伝える」ことが重要となるようだ。もうこれは基本なんだろうね。そして、特に精神障害者は、コミュニケーション能力があまり高くない人も多いので、そのあたりで躓いて、仕事が続かない人も多いのかもしれない。

上司に相談するようなときには、相談票といったものを作るといい、と言っていた。これは私も納得した。
どんなことで悩んでいるのか、まず細かく分類し、「よろず相談」にならないように、障害者のほうも気を付けないといけない、ということだ。よろず相談は、相談されたほうもどうやって答えを出して良いのか分からなくなるし、お互いのためにならない、という話だった。

ハートネットTV シリーズ 平成がのこした”宿題” 第3回「ひきこもり」

12/11にハートネットTVで放送された、『平成がのこした”宿題” 第3回「ひきこもり」』という番組を録画していたので、見た。
私も6年くらい引きこもっていたので、とても興味があるテーマだった。

番組に登場した、引きこもりの大阪の男性が言っていたが、「世の中に貢献しないと生きている意味が無い」というようなことは、私もかなり考えていて、それが自分自身の首を絞めていると、改めて思った。
最初の大学を中退する時、仲の良かった同期の男性から「おいeriちゃん、働かざる者食うべからず、だぞ」と強く念押しされたのが、いまだに頭から離れない。その男性は、今でもFacebookで繋がっていて、私が今現在も働いていないことを伝えても、特になんとも言ってこなかったが、多分腹の中では「働けよ、クズ」と思っているんだろうな、ということしか考えられない。それくらいに、彼の言葉は私の心に深く傷を付けている。

私がこう考えるのは、もともと子供の頃から結婚願望が無く、子供も欲しいとか産みたいとか思ったことが無く、すると勢い、働かなければ生活が出来ないので、恐らくなにかしら定年まで働き続けなくてはならないのだろうな、と中高生時代から考えていたことがベースにあったからだ。
だから、「働かない」という選択肢は、私にとって物凄い重罪なのだ。引きこもっていた頃ですら、某アフィリエイトで月2万円程度は稼いでいた。本格的に引きこもっているので、服も化粧も何も必要では無く、タバコ代1万円と海外ゲーム代年1万円くらいの出費で、十分生活できていた。
今は作業所や病院へ通うためにも服が必要で、障害年金として入ってくる金額も増えたが、出て行く出費も増えてしまった。それが、精神的につらい。自分だって、好き好んでこんなにお金をパッパカ使いたくない。

それでまぁ引きこもりだけど、なんかもう作業所へ通うのは辞めようかな、って思えてきた。こんな幼稚園ごっこみたいなことしてて、本当に社会復帰できるのかよ、っていう疑問が大きいのと、私は小学生の頃から、不登校に片足を突っ込んでいるような状態で、保健室登校や図書室登校をしていたので、きっとどこか家の外へ毎日通う、っていうのは、向いていないのだと思う。在宅でできる仕事を探そうかな、と。
よく、在宅ワークは孤立するから精神的につらい、と聞くけど、自分の場合はそんなのまったく感じたことが無かったので、向いているんだと思う。

それから、精神科医の斎藤環さんが言っていたが、暴力的な支援をする団体の話。これは怖いなと思った。夕方のTVニュースでも放送されたことがあるので、何度か見ているけど、引きこもっている青年の部屋のドアを蹴破ったり、大声で暴言を浴びせかけて引きずり回したり、いわゆる戸塚ヨットスクールを彷彿とさせるやり方に、ゾッとしたもんだ。
これを、テレビは好意的に放送していて、頭おかしいと思った。引きこもりは怠けているわけでも何でも無くて、自分の中では「外に出なくちゃ、働かなくちゃ」って物凄い葛藤をしている。昼夜逆転も治さなくちゃ、って思うけど、自力では治らない。そのうち、風呂にも入れなくなるし、歯も磨かなくなるし、どんどん自分の身の回りの事が出来なくなっていって、在宅浮浪者みたいになる。
そういうところを社会は分かっていないなぁと、夕方のTVニュースで感じた。

ハートネットTV「ひきこもり新時代 長期化、募る焦り」

私の引きこもり歴は6年くらいなんだけど、これで長いほうだと思っていた。でも、番組には何十年と引きこもっている人たちがいて、驚きを禁じ得なかった。そんなに引きこもれる精神状態は、ちょっと異常だよと言いたかった。精神科に行けば、なにがしかの診断が付くのではないかと思った。私の場合は、たまたま精神科で精神病だということが分かって、精神医療に繋がり、福祉に繋がり、今がある。
「ひ老会」というのがあって、ひきこもりと老いを考える会だっけ。私もこの人たちのことを笑えないな、と思った。今、うちでは生前贈与の話が出ているというか、もう現在進行形で、贈与の手続きが進んでいる。しかし、書類1つ取っても、親父の老化が凄まじくて、法律に疎い私が、その書類のミスを4回も見つけてやり直しをさせたくらい、書類をまともに作れなくなった。今現在、親父はかつて働いていた会社と業務委託契約のような契約を結んで、個人事業主として働いているんだけど、こんなに書類が作れないんじゃ、仕事に支障が出るのでは?と心配するくらい、酷かった。
私も私で老化からは逃れられない。昨日のように立ちっぱなしの肉体労働をやった翌日は、だるくて筋肉痛で、まともに家事もこなせなくなった。社会復帰のために体力を付けようと、踏み台昇降運動をやったりしているが、老化するスピードのほうが速くて、追いつかない状態だ。

「OSD 親が死んだらどうしよう」という会もあるらしい。DAIGOみたいだw さすがの私の母親も、最近危機感を覚えたらしく、家族会で企画された精神科医の講演会に参加を申し込んだらしい。
この会で、精神科医として有名な斎藤環さんが出ていて、「対話をしろ」と言っていた。多くの人が「もうしてます」と言うが、「それは対話じゃないんですよ、おしつけ、説得etc…」と言ってて、そうだ、その通りだ、と思った。私も大学生の頃、大学に行けなくなってしまった当時、親に説教ばかりされて話を全然聞いてくれない、話しても「それはお前のワガママだ」と怒られるだけだったことを思い出した。

皆、一様に言うのは、「働きたくても、年齢で雇用条件が厳しくなる。採用してもらえない。門前払いを食らう」といったものだ。これは私も引きこもっている時に感じた。
私が引きこもりだしたのは31歳頃で、最初の2年くらいは「今は休養中だ。貯金が200万を切ったら、就職活動しよう」みたいなことを考えていた。しかし、その2年くらいはあっという間に過ぎ、貯金も減っていった。年を追うごとに「もうこの年齢では、どこにも採用してもらえない」という危機感だけが募っていった。

ひろきさんのお母さんが、事態をまったく理解していなくて、親なのに親らしくないというか、まるで他人事なのが衝撃的だった。こんな母親の元に居ては、治るものも治らないだろうな、と思った。
更に話を聞いていくと、このお母さんがひろきさんを子供扱いしていることが、内容云々というより、話し方からありありと伺えた。上から目線、尊大な態度。私だったら、この母親を殴りつけていただろう。と同時に、このひろきさん自身も、甘えすぎているように感じた。母が分かってくれない、と繰り返すが、健康な同年代の引きこもってない男性は、母親に自分の心情を理解してもらおうとは思わないだろう。それはマザコンだから。
うちの母もそうだが、そろそろ70歳になろうとしていて、最近極端に寝る時間が増えたように見える。昼食後の昼寝、夕食後の夕寝、更に21時半に寝てしまうことも増えてきた。まぁ起きるのが朝4時半なので、睡眠時間は足りているんだけど、ちょっと出かけただけでぐったりすることが増えたので、あぁ歳なんだなぁ、と思うことが多くなった。
ひろきさんは、自分が苦しい、つらい、ばかりで、もう少し老いた母親を思いやってあげてもいいのではないかと思う。

終盤、テロップで「ひきこもりの人の中には統合失調症など精神疾患が背景にありながら診断されていない人も多い」と出て、まさに私のことだ、と思った。
この精神疾患は偏見が凄まじいために、家族すら病院へ行くことを嫌がる。私のように、大学へ通えなくなった、家から出られなくなった、といったような症状から始まったタイプの統合失調症患者は、きっとそれがあまりに「統合失調症らしくない」ために、病院でもうつ病などと誤診され、適切な医療を受けられずに病気をこじらせてしまった人が多いと思う。

ハートネットTV「ひきこもり新時代 わたしたちの文学」

最初は、どの登場人物も「言ってることが幼いな、幼稚だな」と思っていた。でも、いろいろ聞いていて「あぁ、成長するための社会経験を積めなかったんだ」と分かった。義務教育の学校に行かないと、こうなるのか、と。
私も小学生の頃から不登校気味なところがあって、中学校の遅刻・早退・欠席の日数が3年間で75日を超えていた。中学3年の3学期は保健室登校をしていた。だから、一歩間違ったら、この人たちのようになっていたのだ、と思うと、怖かった。

母親が保健師の、「銀の匙」と言っていた男性が、とても気になった。母親が医療職でありながら、精神医療に理解が無く、精神科通院をさせてもらえなかった、という話だ。まったくうちと同じで、悲しくなった。
まぁうちは、20代の頃に私が自力で精神科クリニックへ通院したんだけど、そのあとは一時期寛解して、普通に生活していて、で、仕事を詰め込み過ぎて再発した。再発した時は完全に病識が無く、自力で精神科クリニックへ通うことは不可能だった。母は「この子は精神的におかしい、しかも鬱じゃない」とずっと思っていたそうだけど、母の偏見が強いのと、私が逆切れしたら怖いのとで、言い出せなかったらしい。
番組に出た男性は、そんな無理解な母親を持っていて、よくぞ社会に戻って来れたと思う。

でもまぁ言ったら悪いけど、バブルひきこもり男性は、甘えだと思うよ。社会の枠組みにハマりたくない、組織の歯車になりたくないから、引きこもってるって。なんなのそれって感じ。モラトリアムをこじらせすぎだよ。言ってることも、いちいち言い訳がましいし、屁理屈にしか聞こえない。

ハートネットTV「障害者雇用 もっと両思いを増やそう!Action3」

7/23に放送されたEテレ『ハートネットTV「障害者雇用 もっと両思いを増やそう!Action3」』を視聴した。

企業のほうが、雇った障害者を育てる意思があるのかどうか、という意見が出てきた事に、かなり驚きを隠せなかった。
私が知っている障害者雇用というのは、障害者を健常者の社員と変わらず、教育を施して一人前の社員に育てるようなものは殆ど無かったと思う。いわゆるOJTで「見て覚えろ」「先輩から盗め」「空気を読め」みたいな感じで、なんとなーく日々の業務で勝手に身に付けていくような感じのものしか印象に無かった。
これって要は、障害者雇用=非正規雇用に近いんだよね。私は1社だけ、正規雇用の経験があるんだけど、大きな会社だったこともあり、研修や教育制度は非常に充実していた。だから、その後に非正規雇用で働いた所は、研修とかまったくなく、いきなり実地でやらせるんだなぁと驚いたことがある。大学時代にやった塾講師のバイトですら、3日間の研修があり、県本部へ通った。
Eテレでよく出てくる、障害者雇用の職場は、多分研修とか無いだろうなーと、今振り返って、思った。

ストレスに対する免疫を付けるというか、対処法を身に付けておく、という話にも、共感した。
幸い、寛解中に働いていた所で、これといったストレスは、接客業の凄んでくる悪質な客とか以外、ほとんど無いのよね。デスクワークになってからは、人間関係にも結構恵まれたと思うし、仕事も楽しかったし、充実していて、もっともっと色んな仕事をしてみたい、と思っていた。
だから逆に、今の作業所に来て、人間関係のストレスというか、トラブルがあまりにも多すぎて、面食らっている。ほんとレベルが低いな、と思う。狭い所だから、余計に感じるものがあって、嫌だよね。はぁ。

読者の投稿で気になったのは、うつ病の人。「自己評価が極端に低い人間にとっては、周りができていることをできませんと伝えることは、とてもつらく耐え難いこと」と投稿していたが、おいおいちょっと待てよと。それ単に「プライドが高いだけ」でしょ。ブログ村にも結構いる、自己評価が低いと自称し、「私なんか」「俺なんて」で他人の気を引いて、「そんなこと無いですよ」ってコメント沢山もらって承認欲求を満たしている人。なんかね~。
こんなことだから、うつ病は怠けとか言われるんだよ。私自身も、最初はうつ病と診断されて、父親に「怠けだ」「根性が足りん、弛んどる」って言われてたから、こういうこと言われたくないのは分かるけど、この投稿をした人は、ちょっと同情できないね。

五位野さんというADHDの方が登場していて、それを見ていたら、色々考えさせられた。この人、自己評価が低すぎるというより、理想が高すぎるんだろうなぁ。じゅうぶん仕事が出来ているのに、ああすれば良かった、こうすれば良かった、と反省している。そんなに悩み込まなくても良いのにねぇ。
まぁそれが障害特性だというなら、仕方が無いのかな、と思う。しかし、冒頭でも五位野さんが言っていたが、一度でも自信喪失体験があると、なかなか自分に自信が持てないのかもしれないなぁ。
と思っていたら、スタジオの男性が「この方はADHDの特性が良く出ていますね」みたいなことを言ったので、「え、そうなんだ!」と驚いた。ADHDって落ち着きがないとか、そういう症状?ばかりだと思っていたけど、アイデア豊富だったりもするんだね。全然知らなかった。いやぁ自分の無知が怖い。

ハートネットTV 『ひとりひとりに向き合って~写真家・大西暢夫が撮る精神科病棟』

録画していた、EテレのハートネットTV『ひとりひとりに向き合って~写真家・大西暢夫が撮る精神科病棟』を見た。
私は精神科病棟への入院経験や、病棟を持つ精神科病院への通院経験が無いため、精神科病院の病棟ってどういう所なのか、まったく見当も付かなかった。勝手な想像で、隔離室?保護室?のイメージが強く、独り言をつぶやいたり、壁に向かって叫んだり、壁に頭を打ち付けていたり、そういうような危険な患者が多いのかと思っていた。
しかし、番組では本当にごく普通、とは言い難いが、まぁ薬の影響で呂律が回らないのかな、とは思う程度の、言ってみれば、私がかつて利用していた地域活動支援センターに来ている人と大差無いような人たちが映っていて、かなり拍子抜けした。

最初、この写真家大西さんは、下衆な好奇心で精神科病棟に入院する患者を撮影しているのだと思っていた。私も、そういう下衆な好奇心でこの番組を見ようと思った。結局、人間は下衆なものが好きなんだな、って思った。ワイドショーで、芸能人の誰が離婚したとか不倫したとか、そういうのバカバカしいな、と思いつつも、見てしまう。そういう心理と一緒かな、と思った。

大西さんに撮ってもらった患者たちは、皆くだけた笑顔で、良い表情をしていた。大西さんの腕の力なんだと思う。こんなに表情豊かなのに、退院できないって、何なんだろうと思った。私と、この番組に出てきた患者さんたちと、何が違うのだろうか? 支援センターにだって、番組の患者さんたちと変わらない病状の人が結構来ている。ただ、親御さんは大変みたいだけど……。
中には、入院してから一度も自宅に帰ったことが無い、と言っている人もいて、この精神病は家族にも見捨てられるのか、と悲しくなった。うちは、理解はあるのか無いのか分からないけど、衣食住のことは気にしてくれるし、特に住居に関しては、親が死んだ後も住むところには困らないように配慮してくれている。それだけでも十分なのかな、と思う。

最後、大西さんに単独インタビュー的な流れがあって、18年の撮影人生で、亡くなられた患者さんもいる、としんみり話していた。私が支援センターと作業所を利用して5年で、知っている範囲だけで2人も亡くなっていることを考えると、そういう人がいてもおかしくないかな、と思う。

ハートネットTV 「障害者雇用 もっと両思いを増やそう!ACTION2」

番組を見ていて、精神障害者の雇用が進まない原因の1つに、障害者自身が健常者に対して、障害を理解してもらう努力を怠っているのではないか、ということが挙げられると思った。
例えば統合失調症を健常者の母に理解してもらうケースを考える。陽性症状の派手な症状は、言動という形に出てくるので、母も理解しやすい。反面、陰性症状は「怠けてるだけじゃないか?」と思われやすい。また、認知機能障害に関しては、母は恐らくまったく理解していなくて、「年のせい」とか思っているようだ。
そして、日によって、あるいは1日の中でも、体がだるくなったり、頭がぼんやりしたりすることがあることは、全然理解されていない。

以前、「頓服を飲んだからだるい、眠い」と言ったら、母に「なんで? 頓服効いてないの?」と驚かれたことがある。それを聞いて私は、「あぁ母は病気の事、全然理解していないんだな」と思った。
母は、統合失調症の薬について、単純に「妄想や幻覚を脳から取りはらって元気を出してくれる便利な薬」だと思っていたようだ。そんな便利な薬があったら、ノーベル賞もらってるわ。
まぁそんな感じなので、抗精神病薬は一種の鎮静剤のような効果があって、症状を抑え込んでいるだけだから、元気は出ないし、むしろ鎮静する方向に効く、とその時説明した。こういう現実を、もっと健常者というか、一般社会に広めていかなくてはならないと思う。
そうすれば、公共の乗り物に乗っている精神障害者が、薬の副作用でだるくて座りたいと思っていることも、たやすく理解されるだろうし、乗り物で精神障害者の料金が割り引かれることも、理解されるだろう。また、勤怠の悪い精神障害者がなぜ休みがちなのかも、理解が及ぶと思う。

そもそも、知的障害者に「なんでお前はこんな簡単な計算もできないんだ、障害に甘えているだろ! できるように努力しろ!」等と怒る職場、ありますかね? 腕が無い身体障害者に「なんでおまえは左手で字を書いているんだ、障害に甘えているだろ! 右手の義手で書けるように努力しろ!」等と怒る職場、ありますかね?
何故精神障害者だけが、その障害特性で健常者よりも劣っていることについて、怒られたり、注意されたり、健常者と同じようになるよう努力を求められたりしなければならないのか? 私は本当に意味が分からない。
障害者が健常者と同じように働けるなら、それはもう障害者手帳を返納すべきだし、障害年金も受け取るべきではない。障害者雇用をして、国から補助金を得ているなら、障害者は障害者として扱うのが筋なんじゃないの?

職場でも同じ。身体や知的は、その障害に応じて適切な配慮を受けているように見えるけど、精神だけは、不当な要求を突き付けられて、「これが出来ないなら雇わない」と言われているように見える。
私が最も憤っているのは、週5日フルタイムで働かないと、障害者雇用として認められない事だ。今のご時世、非正規雇用がどれだけいると思っているの? もう正社員・正規雇用にこだわる時代じゃないんだよ。障害者なら尚更、週3日1日5時間勤務でも障害者の助成金を出すような政策を、国が主導するべきだと思うね。