ハートネットTV 闇に埋もれた真実は(1)「私も不妊手術を受けさせられた」

6/12に放送された、『ハートネットTV 闇に埋もれた真実は(1)「私も不妊手術を受けさせられた」』を録画していたので、見た。

個人的には、まぁ絶対に反感を買うだろうけど、障害者は子供を作るべきではないと思っている。理由は遺伝云々もあるけど、まず自分の食事や入浴すら1人で出来ない障害者が、どうやって子供を育てるというのか? ヤルことだけは一人前にヤッて、ポンポン子供を産んで、育てるのはヘルパーさん任せ、にならないだろうか?
以前、ブログ村でも「病状が悪くなって育てられなくなったら、施設に預ければいい」と抜かしている人がいて驚愕したけど、そういう考えで安易に産んでもらっちゃ困るんだよ。子供が。

私の母は、障害者というほどではないが、ヒステリーと不整脈があり、何か気に入らないことがあると「きー!」と奇声を上げて心臓が止まり、呼吸も止まってひきつけを起こして倒れていた。私はそのたびに「私が悪いことをしたから、ママが倒れた」と思っていた。
ある程度大きくなって、母の発作の原因が近所付き合い等の人間関係にあることを知ると、自責の念は母への怒りに変わった。「こいつ、また自分の意見が通らないからといって倒れやがって」と思っていた。それでも、共依存だったんだろうなぁ。高校の時には、何かに使えるかも、と思って夏休み1週間を潰して、地域の消防署が出張して教えてくれる、救急救命講習を習い、なんか資格(資格証をうっかり洗濯してしまい、分からなくなった)を取った。その資格は、祖母が特養に入るまでの間、何度か使う機会があった。
そういう子供時代があったから、なんらかの障害を抱えている人は、安易に子供を作って欲しくない、と思う。

さて、この番組に目を移すが、この番組で取り上げられている人の問題点は、本人の同意を得ない手術であったことだろう。それはさすがに非人道的だと思う。反面、本人の同意が取れない障害の重さの人もいるだろうから、そこはどうなるのかなぁと思ったりもするんだよね。
重度寝たきりレベルの障害者でどうして不妊手術が必要なのかと言われたら、男性のほうは知らないけど、女性の場合は、毎月来るものがあるので、その介助が大変だと、重度障害者の弟がいるという知人から聞いたことがある。
あとは、地元で噂になるレベルの話だと、いわゆるヤリマンと呼ばれるような、明らかに知的障害のある女性が、ほいほい男性とヤッちゃって、ほいほい妊娠しているとかいう問題も、あると思う。私が中学生だった頃は、学校でシンナーやタバコを吸う生徒がいたり、窓ガラスが割られたり、みたいな荒れた時代だったので、普通に校門のところに使用済みの避妊具が落ちていたりもしたし、こういう場合、自衛のために特に障害がある女性は不妊手術をさせられたんじゃないかと思う。

ハートネットTV 闇に埋もれた真実は(2)「消された精神障害者」

6/6に放送された『ハートネットTV 闇に埋もれた真実は(2)「消された精神障害者」』を録画していたので、見た。

私宅監置の目的が、精神病者の治療や保護ではなく、治安維持であることが、本当に前時代的だな、と思った。精神病者監護法というのが、1900年に制定だそうだけど、今から100年以上も昔なら、明治時代だろうし、そういう差別的な法律があってもおかしくない、と思った。
今回何故、沖縄で私宅監置の施設・設備が現存していて、この番組で取り上げることになったのか、不思議だったが、そういえば沖縄は戦後アメリカに占領され、日本に返還されるまで、日本の法律が及ばなかったのだろうことが分かった。ある意味、タイムカプセルのような状態になっていたのだ。これは貴重な資料だから、放送に使われた写真や映像も、是非地域やNHKで保管しておてほしいと思ったら、家族会の方々が、保存する取り組みを始めているそうだ。
しかし、地域の反対もあるそうだ。言われてみれば、そうかもしれない。私も自宅の近くに朽ち果てた監置小屋があったら、不気味に思うし、不良や浮浪者のたまり場みたいになっても嫌だ。なかなか難しい話だ。
途中、沖縄のおじいさんが登場して、キッツイ沖縄弁で話すので、ちょっと何言ってるか分からない時があったのは、ご愛敬だね。

それにしても、私宅監置というのは本当に重いテーマで、ここ最近、自宅に監置小屋を作って精神疾患のある子供を監禁していた事件が、立て続けにあったと思う。多分NHKもそれを受けて、こういう番組を作ったんじゃないかと思うが、あの時も本当に酷い話だと思った。時代が違えば、私も監禁されていたのかもしれない、と思った。まぁ今の家では、監置小屋を作るスペースが無いから無理なんだけど。
しかし、実際問題、精神病者が暴れたり、自傷他害を起こした場合、どうするのが良いのか? 私の場合は、家を破壊しまくったことがあるけど、そこまでしても、親は警察に通報することも無く、また同時に救急車を呼ぶことも無く、ただ「やめてー、家が壊れるー」みたいなことを叫ぶだけだった。そこはやはり第三者を頼って、警察か救急車を呼ぶべきだったと、今でも思っている。
私の病状が激しかった時、親はそれを無視した。正確には「何馬鹿な事言ってるの!」と、まともに取り合おうとしなかった。それって一種のネグレクトじゃないの? 特に、唯一話せる母親は、今でもあの時の対応を正しかったと言うけど、まったく分かってないな、と思う。

ハートネットTV ゲーム障害

私も引きこもっていた時に、1日中何をしていたかと聞かれたら、PCにインストールしてプレイするタイプの、俗に言うカジュアルゲームというゲームをやっていた。海外サイトで年1万円くらいを払い、遊び放題のプランに加入していた。ゲームは、数時間でクリアできるものもあれば、数日かかるものもあった。だが、1週間以上かかるようなものは無かったと思う。土日を除いて毎日1作品はUPされ、それをひたすらプレイしていた。
こんな私だから、今回のハートネットTVの特集『ゲーム障害』は、非常に興味があった。

1日目。最初、私は「ゲームにハマって何が悪い」と思いながら見ていた。でも、1人目のあんどぅさんが、食事もまともに摂らずにゲームばかりしている映像を見て、自分もそんな感じだったけど、さすがにそれはマズいのでは?と思うようになった。
次のぺんぎんさんが、恋愛ゲームに依存して、何十万も課金しまくってるという話を聞いて、おいおいそれは明らかにダメだろう、と思った。この人の場合、いろんな意味で人生をこじらせている。ゲームに出てくる男性は完璧だから良いとか、私のことを嫌いにならないから良いとか。まさか、ぺんぎんさんはデジタルデータが自身を愛してくれるとでも思っているのだろうか? どこまでお子様なんだよ……。
ゲームは所詮ゲームでしかなく、コミュニケーションの対象にはならないと思う。これってもしかして古い考えなのだろうか?

とにかくガチャはホント駄目。キリがない。課金を始めたら、元を取ろうとどんどん課金する。と聞いている。私自身は、ピグライフというオンラインゲームをやっているけど、課金はしたことが無いし、今後もするつもりは無い。無課金でずっとやってるけど、無理にイベントをクリアしようとも思っていないので、イベントクリア率はすごく悪い。それでも、楽しめれば良いかな、って思いだけでプレイしている。
スマホを持っていない私は、ピグライフをプレイするのはPCだけなので、在宅時でないとプレイできない。それもハマりすぎないストッパーの役割になっているのだと思う。

2日目はTwitterと連動型での放送だった。冒頭で、「ゲームがあったから死なずに済んだ」的なツイートがあったと放送された。それは本当にそうだと思う。私も、引きこもっていた時にゲームが無かったら、死んでいたかもしれない。毎日毎日、ゲームをしながら、「これでいいんだ」という思いと、「いやダメだ、こんな自分は死ぬべき」という思い、「こんな履歴書の空白期間を作っちゃって、今更就職なんか出来るわけない」という思い、いろんな思いが交錯していた。精神的に本当にギリギリだったと思う。

番組では、「未来語りのダイアローグ」という心理学的?手法が紹介されていた。1年後の自分を語るというものだった。これはゲーム依存症でなくても、普通の人にも良い手法じゃないかな、と思った。例えば自分なら、作業所の勤務時間を増やすとか、個別支援計画で話し合うんだけど、多分、そういったことをメンタルクリニックでやっているのだと思う。

でも悪いけど、江上さんは好きになれないわ。飲酒運転で自衛隊を首になったのだって、自業自得だし、社会復帰するための映像を見てても、若い女性にはデレデレしながら饒舌に喋ってるのに、おっさんには仏頂面で何も話さない。態度が露骨でしょ。嫌われるよ、こういう人。

ハートネットTV 精神障害者と働く 第2回「共に働くことは”強み”になる」

精神障害者、知的障害者を何人も雇っている工場の取り組みを、精神障害者の就労を支援している方が話をまとめていたが、仕事上のミスが起きた時、障害者に責任があると考えるのではなく、職場の仕組みに問題があるからだと考えるのは、とても勇気のいることだと思った。普通の企業だったら、個人の職務で発生したミスは、個人の責任になる。大きなミスなら解雇もありえるだろう。でも、この工場ではそう考えなかった。今時、なんでもかんでも労働者の責任にする企業が多いけど、こういう企業は成長するんじゃないかと思う。
もう1つ、障害者が苦手な所を探すのではなく、反対に得意な所を探して、それに合った仕事をやらせる、と言う話だったが、これは民間企業ではどこでもやっていることだろうに、何故障害者になると「あなたは何が出来ないんですか?」となってしまうのだろう? 不思議だ。

そのあと、障害者などの団体に投資している人が紹介された。これは少し興味があった。私は放送大学でいわゆる産業工学っぽいことを学んだので、障害者が起業したり、あるいは雇われたりして、どこまで自立できる収入を得られるか、とても気になるし、またNPO法人のような団体で、障害者がどれくらい収益を上げられる事業ができるのか、といったことにも興味がある。
このおじさんが「ダイバーシティ(多様性)」という言葉を引用していた。この単語は、民間企業でもやたらと使われている単語のように思う。特に最近言われるのは、LGBTへの理解をすることが組織の多様性に繋がる、ということで、同性のカップルにも配偶者手当を出したりする企業が、よく新聞に載っている。
LGBTへの理解でも言われることだが、障害者雇用も、理解を深めて対応を増やしていくことが、きれいごとではなく、儲けに繋がるのだ、という認識が、もっと増えればいいなぁ、というのが、このおじさんの主張であったと思うが、私もまったく同感で、障害者が働きやすい職場というのは、どんな人、健常者や高齢者であっても働きやすい職場になると思うのだ。

後半、鹿児島にある就労継続支援A型事業所の話が出てきた。なんと、出版業を営んでいるらしい。出版不況なのに大丈夫なのか?と思ったが、主にメンタル関係の書籍を出版しているようだった。これはなかなか面白いと思った。
精神障害者に出来る仕事は単純作業しか無いように思われがちだが、出版といったクリエイティブな仕事も出来るんだぞ、と言わんばかりの利用者たちは、とても輝いて見えた。
しかし彼らも、このA型事業所に来るまでは、色々苦悩の日々を送ったようだ。社会から隔絶されている感じ。社会の役に立っていない感じ。それは私も日々思う。たった週1日の作業所勤務で、何になると言うのだろう? それでも、いつか社会復帰できるかもしれない、と思って、なんとか頑張っている。
アナウンサーが「働くことは生き甲斐や自尊心に繋がる」と言っていたが、まったくその通りだと思う。誰だって、「お前は何の役にも立たない、誰の役にも立っていない」と言われたら、絶望するだろう。働くことで、少しでも社会の一員になれたのだ、と感じるだけでも、寂寥感からは逃れられるのではないかと思う。

ハートネットTV 精神障害者と働く 第1回「働き続けるために」

今年の4/1から障害者の法定雇用率が2.2%に上がり、今まで採用が及ばなかった精神障害者の雇用が注目を浴びているらしい。しかし、精神障害者特有の問題で、1年後職場定着率は、他の身体・知的障害者よりもかなり低く、それが精神障害者本人や、採用する企業の二の足を踏む事態になっているようだ。
特に精神障害者本人の問題として、「相談力」が挙げられる、と就労支援をする人が言っていた。なるほど確かに、私も今回の作業所の問題で、愚痴ばかり言っていて、「前向きな相談」はしてこなかった、と少し反省した。元来の性格もあるが、問題を、自分1人で抱え込む傾向はあるように感じた。

番組では、実際に何年も企業で働き続けている当事者の方が登場していた。林さんはなんと10年も働き続けているらしい。これは凄いことだと思った。
林さんは、ご本人も職場に馴染めるよう、仕事に馴染めるよう、ご自分で工夫をされていて、なんかやっぱりそういう努力が無いと、なかなか長くは勤まらないんだろうなぁと思った。
就労移行支援事業所、というのは、聞いたことはあったが、実際に利用したことは無く、自分にも必要なのだろうか?と思ってしまった。多分、私はもう、B型作業所より上の段階には行けないと思う。それを思うと悔しくてたまらないから、あまり考えないようにしているが。

もう1人のPさんが言っていた「過集中」は私にもあるかなぁと思った。もともと、勉強や何かでも自分追い込むことが好きというか、自然にそうなっちゃうタイプで、今の作業所で言えば、絵を描く仕事なんかも、時間を忘れてやっていることがあるし、絵画教室なんかは本当に「過集中」と言う表現がぴったりくるのではないかと思うほど、没頭することがある。
もちろんそれは悪い意味では無くて、それほどまでにのめり込めるほど好きなことがある、という意味でもあるんだけど、それが毎日だったら、体が持たないよね、とも思う。

今度は企業側からの取り組みが紹介されていた。タスク表の利用や、日報を付けてもらうなど、色々会社のほうも試行錯誤をしているんだなぁと思った。ここの企業は従業員が600人以上と、比較的大規模な企業なので、そこまでの余裕があるのだろう。しかし、日本の企業は中小企業が圧倒的に多いので、そういった中小企業でどこまでこのような配慮ができるのか、なかなか難しいのではないかと思った。
個人的には、特例子会社のことをもう少し紹介して欲しかったのだが、精神障害者は特例子会社よりも、この番組で紹介されたような、普通の企業の一社員として働ける、戦力になる、と思われているのだろうか? 実際問題、勤怠の悪さをクリアすれば、知能も悪くないし、腕や脚が無いわけでもない精神障害者は、十分企業の戦力になりうると思うのだが、現実は、その勤怠の悪さを嫌われるのだよなぁ。私だって、今は週1日しか働けないし。
週1日しか働けない人を雇いたい企業なんか、無いよなぁ。

ハートネットTV「障害者雇用 もっと両思いを増やそう!プロジェクト」

昨晩、ハートネットTV「障害者雇用 もっと両思いを増やそう!プロジェクト」という番組がEテレであったので、録画して今日見た。
法定速度40km/hの道路を、50km/hで走るのが健常者、法律を守って40km/hで走るのが障害者。追い抜こうとする健常者ってどうなの?という比喩は、非常に上手いなと思った。確かに、残業を毎日何時間もして、バリバリ命を削って働く健常者のほうが、おかしいと思う。健常者も労基法を守って、健康に留意しながら働ける世の中にならないのかな?

でも、もっと根本的な話をすれば、何故障害者雇用と言った時に、毎日週5日、フルタイム勤務することだけしか、障害者雇用として認めてもらえないのか?という問題があるのではないかと思う。
特に精神障害者は、障害者枠雇用でも、フルタイムで働くと障害年金を切られたりすることがある。身体障害者は、フルタイムで働いても、無くした腕や脚は二度と生えてこない、という理由で(いや、伝聞です。嘘かもしれない)、障害年金が切られることは無い。結果、身体障害者の給与は、精神障害者の給与より多い、というデータもあるそうだ。なにか納得がいかない。

どうして、コンビニやファストフードで精神障害者が短時間勤務をすることが、障害者雇用扱いされないのだろうか? 事務などのデスクワークや、工場などの製造業以外の職場は無いのか?

ハートネットTV「ある青年の死」

精神科病院で看護師に暴行されて亡くなられた陽さんは最初、うつ病と診断され、抗うつ剤SSRIを飲んだが、他人を殴ってしまったところで、統合失調症と診断を変えられる。私はここがそもそもの問題だと思った。番組では、殴った時に意味不明なことを話していた、と説明をしていたので、それで統合失調症と診断が変わったのだろうけど、SSRIを使っていたら、その副作用で暴力性が出てきたり、あるいは躁転したと考えたりするほうが普通じゃないのか? なんか、かかった病院が藪だったんじゃないのかと思った。
その精神科病院が陽さんに処方した抗精神病薬のリストが、チラッと映ったので一時停止して調べたんだけど、セロクエル600mgとか、もうCP換算値900を超えるような、無茶苦茶な量が出ているんだよね。これだけでも、どうなのかな、って思うんだけど、それ以上に、薬をコロコロ変えまくったらしいことが分かって、こりゃ本格的に藪だな、と思った。
でも、番組に出てきた京都の精神科医がカルテを見た感想では、量も種類も悪くない、ということだった。そうなのか? マジで? なんか患者の視点からすると、とてもそうには思えないのだが……。この精神科医は「精神障害者と付き合う作法を無くした社会」という表現を使っていた。じゃあ、いつなら、精神障害者と付き合う作法が存在した社会があったのだろうか? いつだって、精神障害者は迫害されてきたし、穢れのように扱われてきたんじゃないのか?

中盤から、陽さんが症状を悪化させていく話が出た。ここらへんで、流石の私も「ただのうつ病や躁鬱病では無いのかも?」と思うようになる。しかし、抗精神病薬の副作用の可能性も捨てきれない。一体どうなっているのか?
身体拘束については、私は精神科への入院をしたことがないので、他の人の話を聞いただけなんだけど、やっぱり、人間としての尊厳を奪われたように感じたとか、死にたくなったとか、とても否定的な感想を持った人が多い。まぁ見た目からも、そうだろうな、としか思えないけど。
番組内でも、拘束して恐怖から逆に暴れる患者のほうが多い、と看護師が言っていた。じゃあなんのための拘束なのか、と思ってしまう。自傷他害行為をする患者を守るため、とよく言われているが、そんなに危険な患者って多いのかなぁとか思ってしまう。考えが甘いのかな。

最後に、問題の病院の看護師らが匿名で出ていた。人手不足により患者よりも同僚の心配をしてしまう、みたいな。医療人として、あってはならないことだと思った。自分たちが仕事で楽をするために、患者をぞんざいに扱うなんて。こんな病院にはかかりたくないと思った。

ハートネットTV WEB連動企画゛チエノバ”「座間事件とSNS」

Eテレ12/7放送の番組、『ハートネットTV WEB連動企画゛チエノバ”「座間事件とSNS」』を見た。例の座間大量殺人事件とSNSとの関係や使い方についての番組だった。
私もTwitterを良く使っているので、この問題はとても関心があったけど、私の答えは既に出ていて、「SNSで知り合った人に、リアルで会わない」が唯一の解決法なんじゃないかと思っている。そう、なんでみんなリアルで会っちゃうのかね? 出会い系みたいな使い方、するなよと言いたい。それも、知り合った当日にホイホイ男の家にあがるなんて、警戒心も何も無いよね。被害に遭った人たちを悪く言うつもりは無いけど、死にたいから、どうなっても良かったのかな。

でも、荻上チキらが言っていた、愚痴れる場が必要、というのは、とても賛同する。番組で紹介された人の意見の中に、「ネットの世界で助けを求める、それがいけないことなの? それを規制されたら、次はどこへ助けを求めたらいいの?」というものがあった。まったくその通りだと思う。
Twitter社などのSNSを運営する会社が集まって、規制を検討しているらしいけど、「死にたい」と投稿したら削除されるような場が、本当に健全なのかな。自由じゃないよ、そんなの。
ただ、本当に「死にたい」と思っている特に若い女性は、それが「誰かに気持ちを分かってもらいたい、すがりたい、助けて欲しい」という気持ちを言い換えただけだったりする。私も昔はそうだったから。だから、SNSで知り合って、簡単に会う約束を取り付けて、会ってしまう子を、どうやって止められるんだろうか、っていうことは、ちょっと私には分からない。

私が以前やっていたTwitterのアカウントでは、病気であることを自分も分かっていない(病識が無い)状態だったので、特に東日本大震災の直後、物凄く気分が荒れて落ち込んで、「死にたい」と何度もツイートしていたら、事情を知らないフォロワーさんが「大丈夫ですか? 救急車呼びますか?」等々、心配してくださったことがある。一般の人から見たら「死にたい」という発言は、凄く重いものなんだなぁ、と最近になって思った。当時は、他人が私の発言をどう思うかなんて、気にもしていなかった。ちょっと反省している。
そうは言っても、今のTwitterのアカウントでも、時々鬱になった時なんかは「死にたい」ってツイートしちゃうけどね。

荻上チキ氏が、Twitterの病みアカを作っていたと語っていて、かなり興味深かった。その中で、言葉、文字にしてアウトプットすることで、自分の気持ちを客観視して、整理できる、と語っていて、まったくその通りだなと思った。
特に私の場合は、それがブログで実現されている。些細なこともブログに書く。2週間に1度のメンクリの診察の前に、ざっと読み返して、主治医に伝えるべきこと、相談すべきことをまとめる。それが習慣になっている。また、認知機能障害により、記憶力が衰えているため、様々な事務手続きや、滅多に行かない通院(定期健診など)の時期を確認するためにも、ブログを活用している。
勿論SNSも活用している。mixiもやっているし、Twitterもやっている。Facebookもやっている。インスタグラムはスマホが無いので、アカウントだけ持ってて、気に入った人を登録して時々写真を見ている。

精神科医の松本氏が、「希望とは絶望を分かち合う事」という名言?を話されていて、なるほどなと思った。私たち精神病患者は、病気の告知という一種の絶望を共有している。だから、ブログ村やSNSなどで同じ病気の人に出会うと、それが生き甲斐になる人も出てくる。病気の事を理解しないリアルの友人よりも、顔も知らない同じ病気の他人のほうが、つらい気持ちを理解してくれると思うこともあるだろう。少なくとも私はそうだ。
支援センターでも、まったく同じ病気の人は残念ながら見かけたことが無いけど、統合失調症や躁鬱病の人と、薬の話や具合が悪くなった時の話などをすると、「あぁここでは偏見が無いんだ」とホッとする。だから、とても飽きっぽい私が、支援センターへ通うことを飽きないでいられるのだと思う。

ハートネットTV シリーズ認知症 当事者とつくる新時代(2)パートナー

先日、伯母が初期のアルツハイマー型認知症と診断された。直接会うようなことは当分無いのだけど、姪として何か出来ることは無いか、知っておかねばならないことは無いか、また母に情報提供するようなことは無いか、と思い、今回のこのハートネットTVの番組を見ることにした。
この番組で言う「パートナー」とは、伯母のケースにはあまり必要では無さそうだけど、Living well with dementiaという概念が統合失調症などの精神疾患にも使えそうだと思った。

Living well with dementiaとは、「認知症とともによく生きる」と訳されるそうだ。番組内では、具体的には「診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態」のことだと、スコットランドの認知症当事者の男性が言っていた。これは非常に意味深い解釈だと思った。
例えば叔母は、もう70歳を過ぎているんだけど、いまだにパートで働いている。若い頃から縫製工場に勤めていて、ミシン掛けの技術に秀でているので、その腕を買われて、社長から懇願されて雇用されている。そして今回、認知症と診断されたけど、解雇されることもなく、また医師からも「辞める必要はない」と言われたそうで、毎日車で通勤しているそうだ。
そう、車の運転もしているのだ。バスも通っていないド田舎だから車が無いと生活が出来なくて、それではく奪されていないだけって噂もあるけど。番組に出てきた丹野さんは、自分から返納したようだが、伯母もいずれはそういう日が来るのだろう。

さて、ではLiving well with dementiaをLiving well with schizophreniaにしたら、どうだろうか?「統合失調症とともによく生きる」だ。「診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態」は、どうだろうか?
私は、大学在学中に初診があって診断されているので、その頃のことを考えると、大学も中退してしまったし、まともな仕事も出来なくなったし、とてもLiving well with schizophreniaとは言い難い状態だ。何よりも苦痛なのが、本が読めなくなってしまったこと。音楽も2012年に統合失調症と診断された当時は、とてもじゃないが集中できなくて、聞けなかった。それが、最近はiPodを買ったこともあって、流し聞きが出来るようになってきた。なので、慣れだったり、訓練したりで、出来るようになるのかな、とは思うんだけど。でもやはり、本を読むのはなかなか骨が折れる。理解できない、頭に入ってこない、目が滑る、そんな感じだ。
ブログ村の統失カテなんかを見ていると、文字通り「診断前にやっていたことを何もやめなくていい状態」で維持している人が、ちらほら見受けられるので、そういう人は発症から治療までがスムーズかつ迅速だったんだろうな、とか思ってしまう。あとは、私が登録している統合失調感情障害のカテには、統失カテより酷いというか、重めな人が来ているなぁと感じる。

でも、やはり理想は、Living well with schizophreniaでありたい、と思う。出来ないからといって何もしないでいては、どんどん出来なくなっていくと思う。音楽が聴けるようになったように、本も少しずつなら読めるようになってきていると、若干だが実感している。老化が速いか、リハビリが速いか、という状態だが、何もしないよりかはマシだろう。

ハートネットTV WEB連動企画”チエノバ”▽精神科病院の”身体拘束”を考える

7日に放送されたEテレの『ハートネットTV WEB連動企画”チエノバ”▽精神科病院の”身体拘束”を考える』を録画していたので、見た。
Twitterでも事前にWebへの投稿を募集していて、いくつか読んでいたが、本当に嫌な思い、つらい思いをした人が多くて、驚いた。冷静に考えれば、身体拘束は必要だった、と言っている人も中にはいたが、少数派だった。

私自身は精神科への入院経験が無く、当然ながら身体拘束もされたことが無い。だから、どんなものかはあまりよく分からない。YouTubeで見たり、それこそこのハートネットTVやバリバラ、あるいは夕方のニュース番組の特集で見たことくらいしか無い。
見ただけの感想では、やはり急性期には身体拘束もやむを得ないのではないか、と思っていた。特に、支援センターで躁状態が酷くなり、大声を出した人と同じ空間に居合わせた時に、「誰か早くこいつを救急車に乗せて入院させて!」と思った。この時の「入院させて!」は「身体拘束させて!」とほぼ同義だ。
この考えは、番組を見ていても変わらなかった。精神科医の斎藤環さんが、「拘束しなくても治療できる、オープンダイアローグという手法がある」とおっしゃってて、これは斎藤環さんのTwitter等での発言と変わらないのだけど、私個人では、オープンダイアローグというものをちょっと胡散臭いと思ってる。
精神科医である斎藤さんが、精神科医療の修羅場をくぐり抜けて、それでもなお「オープンダイアローグがいい」と言うのだから、よほど効果があるのかもしれないけど、私が若い頃、症状が炸裂していて暴れたりしていたころに、斎藤さんみたいな医師から「話し合いましょう」と言われても、話し合いにならなかったと思う。むしろ殴っていたと思う。
実際問題、斎藤さんも殴られたことが何度もある、と言っていたけど、それは治療者のほうが「拘束してやるぞ」というような圧力を患者に与えていたからで、患者は悪くない、と主張していたので、驚いてしまった。どこまでお人好しなのだろうか? 精神科の救急外来に来るのは、そんな聞き分けの良い患者だけではないと思う。それこそヤクザが覚せい剤中毒で、暴れまくって来ることもあるだろう。そういうときでも、斎藤さんは同じことを言えるのだろうか?

ただ、そんな私にも唯一、解せないことがあって、「措置入院だからとりあえず拘束しておくか」みたいな、なんというか流れ作業的に拘束されてしまうことがあるのが、それはおかしいな、と思った。
また、拘束の上限時間・日数が無いことにも、違和感というか不満を覚えた。これじゃ患者を暴力で抑え込んでいると言われても仕方がない。でも、どうなんだろうな? 薬物で患者を鎮静化させるのはOKで、物理的な身体拘束はNGなの? なんか、似非人権派みたいな気がする。