バリバラ「玉木幸則”平成”を語る(後編)2009-2018」

玉木さんや、障害者権利条約なんかで、「障害のある人も好きな所に住める」と言ってるらしいんだけど、それはちょっと賛同できないかな。
健常者ですら、「給料が安くて家賃の安い所にしか住めない」とか、色々事情を抱えて、本当に住みたい所を諦めている人は沢山いるだろう。ましてや、支援の必要な障害者(特に、身体障害者)は、ヘルパーの手を借りないと生きていけないのだったら、ヘルパーが確保できない地域には住めないと思ってもらわないと、僻地や危険な地域に住みたい、ヘルパーはここに引っ越して来い、なんて、ちょっと図々しいのでは?と思ってしまう。

「他人の迷惑にならないように生きなさい」という親の言いつけが出ていたが、これは個人的には、古い考えだと思っていて、ヘルパーを使うことを「迷惑」と親の世代は考えているのだろう。
でも、「障害者が持っている、行使して当たり前の権利」か?と聞かれたら、それも違うと思っていて、私も以前、外出するのにヘルパーを付けてもらえないか、支援センターに問い合わせたことがあったけど、「精神障害者に対して、そういう目的で働きたいと言うヘルパーさんが確保できないので、サービスを提供できない」と言われたことがあった。これって、今思えば精神障害者に対する差別だとも思うんだけど、まぁ現実問題として、ヘルパーが確保できなければ、支援も受けられないのだ。
その点、身体障害者は恵まれていると思うけど、それでも、自分で勝手に辺鄙な所に住んで、「ヘルパー来いや!」っていうのは、やっぱり違うんじゃないかなと思う。

相模原障害者施設殺傷事件の話が出て、玉木さんが「自分が同じ立場になったらどうする?」と言っていたけど、私は、今現在も精神障害者や知的・身体障害者は社会のお荷物であり、存在そのものが迷惑だから、死んでも殺されても構わない、と考えている。なんだったら、安楽死制度を作って、自ら死を選びたい。
そんなだから、玉木さんの問いかけには「同じ立場の私でも、障害者は抹殺するべきだと思います」って言う。
だって、そうでしょう! 働いて、幾ばくかでも社会貢献が出来ている障害者ならともかく、私みたいに作業所での遊びを仕事と勘違いして働いてるつもりになっていた大バカ者が、生きてる価値なんか無いよね? 私が生きているだけで、この世の酸素が失われ、糞尿を始末するために貴重な水が使われ、貴重な食料が消費され、なによりも大切な国や年金機構のお金が無くなっていく。
障害者や不健康な人間を抹殺すれば、国の社会保障費の問題なんか1発で解決するし、年金問題も解決する。だから、国は安楽死施設を作るべきなんだよ。

出生前診断についても、玉木さんは反対派だろうなと思っていたら、案の定で、なんだかなぁと思った。世の中の圧倒的大多数の人は、賛成派なんだよ、検査をすることに対して。いくら普段、「障害者は差別しない」って公言しているような人でも、我が子が障害を持っている可能性が少しでもあると分かったら、中絶するよ。
それは、単純に目に見える身体障害だけではなくて、いわゆる難病と言われるような疾病も入っていると思う。そういう障害児を育てていくのに、いったいいくらかかると言うのか。経済的な面で「障害児を育てられない」と判断する家庭も多いだろう。