今日12/9の朝日新聞の夕刊1面に、「精神科病院をなくした国」イタリアで学ぶ共生とパスタという記事が出ていた。登場人物の精神疾患当事者の方が、堂々と「統合失調症を発症」と書かれていて、なんだか凄い時代になったな、と感じた。新聞で実名を出して、病名までも正直に書かせてしまう人が現れたか、と。
私はこんなブログをやっているけど、現実社会ではほとんどの人に、病名の告白をしていない。弟にも、精神障害があって障害者手帳を持っている、という話が行っている程度らしい(母談)。絵画教室では、精神疾患があるとは言ったが、統合失調感情障害であるとまでは言っていない。唯一、大学の同級生1人にだけ打ち明けた。近所の人レベルだと偏見が怖くて、とてもじゃないが言えない。
さて、この朝日新聞の記事だが、イタリアは精神科病院が廃止されている、と紹介している。私は、個人的にはそれってどうなんだろうな?と思っている。入院施設も無くて、急性期の暴れているような人は、どうやって治療や看護をしていくのだろうか? 朝日新聞の紙面では、終始「イタリアのほうが正しいですよ、日本は遅れてます」って感じの雰囲気で、嫌な気分になった。
でも、精神障害者だって手に職を付けて、イタリアンの料理を提供できたら、いいんじゃないかなー、とも思うんだよね。冒頭の紹介されている男性は、調理ではないが週4日、雇用される形で働いている、というし。
今、私も喫茶店を併設する作業所で働いているけど、料理のレベルがあまり高くなくて、昔からいる人に話を聞いたら、最初は地域の人もちょいちょい来てくれていたけど、冷凍食品をチンしているだけだとバレたら、来なくなったとか。そりゃ来ないだろ、冷食で500円も取られたら。
そして、今は手作りの週替わりランチをやっているけど、毎週毎週メニューがリセットされるので、そのたびに料理の仕上がりレベルもゼロに戻ってしまうらしい。ちなみに、メニューは職員が考えているそうだけど、ハッキリ言ってワンパターンだ。簡単に食べられて、同じ建物の中にある支援センターを利用する人が好む、味よりもボリューム重視の丼物ばかり。
もっと料理のスキルを磨いたり、メニューを工夫したりして、また地域住民や遠方からのお客さんを呼び込む努力をすればいいのに、って思っていたけど、職員の考えはまったく違っていて、「うちは飲食店ではなく福祉施設なので」と電話で言っているのを聞いた時に、あぁここは私が考える「飲食店」では無いんだ、と痛感した。
私が、ホール係から内職係に異動を考えた時、同時に別の作業所に鞍替えしようかとも考えていて、そこは時給が300円くらいする。どうして同じ障害者がやっている飲食店なのに、こんなにも待遇が違うのかな、と思っていたら、その別の作業所には、定年退職したプロの料理人がボランティアで調理指導などをしに来てくれているらしい。だから、料理の質はすごく高いし、まぁあと立地がすごく良くて、主要駅から徒歩10分くらいなんだよね。それで、いろんなお客さんが来てくれるらしいのだった。やっぱりお金がもらえる所には、それなりの理由があるんだな、と思った。
それにしても、朝日新聞の記事を読むと、イタリアでは働けないレベルの精神障害者のことがまったく考慮されていないんだけど、その点どうなんですかね? 会話が支離滅裂で、意思疎通が図れない人とか、支援センターで会ったことがあるけど、そういう人はイタリアではどうしているのだろう? なんか、イタリアの美味しいところだけつまんで紹介してない?
おはようございます!
イタリアのその話、何かでチラリと聞いた事あります。
本当に症状が重い方はどうしてるんだろと思いますが、そこは紹介してくれませんよね。
後、もし今偏見が無いならどうやって無くしたのか聞いてみたいです。
不思議な所が満載ですが、実名と病名を新聞に載せてもいいと思うのは、偏見もあまりなく地域で上手く生活出来てるのかなぁと思いました。
おはようございます!いつもコメントありがとうございます。
ホントますじさんのおっしゃる通りで、海外の症例を時々ネットで見聞きするんですが、症状が重い人はほとんど出てこないんですよね。どうなってるのかな、と思います。
偏見は、外国はあまり無いような印象です。約20年前の学生時代、うつ病患者としてイギリスの方と文通(当時まだネットが無かったので)したことがあるんですが、全然偏見が無かったです。なので、あの調子なら多分統合失調症にも偏見は無さそうです。
日本だと、奇抜な事件が起こると必ず「容疑者には通院歴があり」って出ますよね。あれ、止めて欲しいです。その情報、必要かな?って。
そうなんです、不思議なところが満載なんですよね~。なんとなく、都合のいい所しか書いてない気がします。