バリバラ「玉木幸則”平成”を語る(前編)1989-2008」

玉木さんは活舌が悪くて(これも障害のせいだから、言っても仕方が無いんだけど)、耳が悪い私はあまり好きじゃないんだけど、なんとなくこの回を見てしまった。そして、見て良かったと思った。

番組終盤で出てきた「自分らしい生き方が出来ているかどうか?」という課題。私がずっとモヤモヤしていたのは、これだったんだ、と思った。そう、私はメンクリに通うようになって、障害者認定されて以来、自分らしい生き方が出来ていないと感じていたんだ。だから、薬を勝手に減らしてみたり、作業所に通うのを嫌がってみたり、していたのでは無いかな?
要は、自分の精神障害を未だに受け入れられていない、ということなんだけど。

陰性症状が炸裂して、引きこもるようになるまで、色んな職場で働いてきた。正規雇用は1か所だけで、他は非正規雇用だったけど、その当時は自分はうつ病経験者(回復済み)と思っていたから、あまり無理して再発するのが怖くて、非正規雇用のままで良いと思っていた。
働きながらその稼ぎを学費に回して、自腹で通信制の大学にも通い、無事卒業することが出来た。サークルにも入って、関西の美術展巡りオフ会に参戦したり、関東の美術展オフ会にも積極的に参加していた。都内や県内での飲み会にも良く出かけた。自由になるお金は少なかったけど、本当に充実した日々を送っていた。
それが、一転して空虚な日々を送る羽目になった。毎日毎日、PCゲームをするだけ。誰とも話さない。話したくもない。風呂にも入らないし、食事もほとんど摂らない。そんな生活を6年以上送った。

そして、ひょんなことから今のメンクリへ通うようになった。私はすぐに、かつてのような生活が取り戻せるんだと思っていた。しかし、7年通っても若い頃のような生活には戻らなかった。それどころか、不自由な生活を強いられることになった。
薬の飲み合わせのせいで、グレープフルーツが食べられなくなった。7年間、一度も食べていない。ジュースにも入っているかもしれないので、ジュースを買う時は必ず成分表を確認する癖が付いた。ハッキリ言って、グレープフルーツを食べたい。私は、柑橘類が好きなんだよ。みかんじゃダメなんだよ。こういった不自由がある。
他にも、飲み屋でお酒が飲みたい。新宿のバーとかに行きたい。地元にあるジャズバーとかにも行きたい。でも、抗精神病薬を飲んでいるから、怖くてあまり量が飲めない。今は自宅で缶チューハイ1本、焼酎だったら200mLくらいしか飲まないけど、それじゃ全然足りないわけ。もう少し酔ってヘラヘラしたい。でも、抗精神病薬が効き過ぎた時に怖いから、自粛してしまう。そういう不自由がある。
体力も無くなったから、都内に出かけることも殆ど不可能になった。美術館にも行けないし、大学の同期との飲み会も参加できない。

そして、仕事。作業所ですら、週1日数時間しか働けないのに、私がかつてやっていたような仕事が出来るわけが無いのだ。
私がかつてやっていた仕事とは、ある程度の頭脳労働で、自分が憧れていた職務内容で、その仕事をしている時はいつも、とても満足していた。非正規だけど誇りを持っていた。
そんな私が、作業所で知的障害者と一緒の仕事をするのか、という思い。傲慢だと思われそうだが、正直な感想だ。

自分らしい生き方って、どうすればいいのかな? 仕事で実現するには、かなり無理があるというのは、もう痛いほど分かっている。それ以外のところで、どうするか? 都内の美術展へ行けたら良いな、というのがまず1つかな。