こころの元気+ 2019年7月号

だいぶ前になるが、こころの元気+2019年7月号が届いた。
今号の特集は「病院でもリカバリー」なんだけど、入院経験の無い私には全然実感が湧かなかった。

というわけで、普通のリカバリーについて考えてみることにした。
そもそもリカバリーとは何ぞや?ってことなんだけど、Google様にお願いしてみたところ、「国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部」という大変長い組織名のサイトで、良いページを見つけた。その名も『リカバリー(Recovery)』。
ここに、リカバリーとは 人々が生活や仕事、学ぶこと、そして地域社会に参加できるようになる過程であり、またある個人にとってはリカバリーとは障害があっても充実し生産的な生活を送ることができる能力であり、他の個人にとっては症状の減少や緩和である

と定義されていた。リカバリーとは、個々人によってその内容が異なる用語のようだ。

さて、説明文の下にある絵(イラスト)が非常に分かりやすいんだけど、リカバリーにはパーソナルリカバリーと臨床的リカバリーの2種類がある。
私が約25年前にうつ病の治療を受けた頃は、こういった概念はまったく存在せず、まぁ私が診てもらった医師の治療方針なのかもしれないけど、とにかく精神病的症状を完璧に封じ込めることこそが正義で、そのためなら多少の、時には大きな犠牲を支払っても良い、という風潮があった。だから、多剤大量処方は当たり前だったし、抗うつ剤の副作用で、激しい便秘、尿閉、むくみ、眼球上転、呂律が回らない、手が震える等に悩まされて、日常生活に多大な影響を与えていた。それを医師に訴えても、「じゃあ薬止めるの? また鬱の症状が出てもいいの?」と脅迫してくる。
そんな治療に耐えられず、独断で通院を止めてしまった。

ところが、今は主治医にも恵まれているのかもしれないが、こちらが薬を減らしたいと言ったら、よほどのことが無い限り、応じてくれる。太る副作用があれば、どの薬が原因だったか探してくれる。今の主治医の治療でも、結果的に多剤大量処方になってはいるが、私の症状が複雑なことが分かっているから、そこは半分目をつぶっている。妄信はしていないが、少なくとも約25年前の医師よりはマシ、という感じだ。

それで、臨床的リカバリーというのは、これはもう十分医療サイドでやってもらっているんだよね。それは実感する。
問題はパーソナルリカバリーのほうで、これがまったくといって良いほど出来ていない。理想はいっぱいあるけど、何一つ実現できていない。作業所も辞めてしまって、次の所が決まっていないし、支援センターも辞めてしまった。唯一残っているのが絵画教室だけど、これもいつまで続くか分からない。
特に就労に関しては、寛解期に出来ていた「週4日、1日8時間勤務、都内へ通勤片道約1時間半」という条件をクリアできない限り、全然満足できないんだけど、もう確実に無理感が出ている。支援センターの担当職員は「大丈夫だよ! 絶対できるって! 何人も見てきた私が言うんだから間違いないよ!」って力強いことを言ってくれるけど、自分のことは自分が良く分かる。無理。

私にとってのリカバリーとは、こころの元気+で書かれていたような内容はもう卒業していて(そもそも入院していなかったわけだから)、それプラスαとなっていく。対人関係は、個人的には昔からあまり人づきあいが良くないというか、密に連絡を取ったり会ったりしたいタイプじゃないので、別に友達がいようがいまいがどうでもいい。それよりは、読書を楽しめること、体調を気にすることなく美術館等へ出かけられること、テレビドラマを1時間通して集中して見られること等が、私が今抱えている課題だ。
これらは簡単そうに見えるが、今の私にはとても難しい。これらが出来るようになって初めて、私のリカバリーが始まるのではないかと思っている。

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