こころの元気+ 2021年1月号

先日、かなり遅めに『こころの元気+1月号』が届いた。
コンボライターとして情報が回ってきたときは、「言いたい放題なんて、何を書けばいいんだろう?」と思って何も思いつかず、投稿を見送った。しかし、しょっぱなの「本人・家族にとってのリカバリー」という特集にとても共感したので、感想や考えたことを書いてみたい。

まず、リカバリーについて、過去に言及した記事があった。『こころの元気+ 2019年7月号』だ。これはこれとして置いといて。
最近の私にとってのリカバリー、特に2019年7月号でいうところのパーソナルリカバリーについては、結構進みつつあるんじゃないかと思っている。
絵画教室も何度か休みながらも続けられているし、自分に合わない環境は無理して通わず、思い切って辞めて新天地を目指したりしている。簡単なものだけど資格検定を取ったりして、脳トレというか、認知機能のリハビリもしているつもりだ。

今号の特集で書かれていたものだと、佐々木さんの言葉、自分の中に精神保健以外のパーツを増やしていくのが大事なんだなという部分に、大きく頷いてしまった。これなんだよ、これ。
過去記事で書いてあるのかな、ちょっと分からないので書くけど、私は子供の頃から習い事や部活をやっていて、学校「しかない」という状況になったことが無かった。そうやって所属する場所を分散させることにより、自分の世界が狭まることを防いでいた。

でも、精神障害者になってみると、世界が物凄く狭くなってしまう。病院や福祉施設、作業所と家の往復のみとか。医療・福祉だけで生活が固められてて、一般社会で生活しているはずなのに、精神病院の中で暮らしているのと変わらないような生活スタイルになっている人が、福祉施設には結構いる。
私はこの環境が耐えられなかった。医療・福祉とはまったく関係無い絵画教室へ通うことを母から勧められたのは、今ではとても感謝している。

絵画教室では、世代の違う生徒さんと話したり、先生から「変に障害者扱いされずに」指導を受けたりするのが、とても心地よい。自分が精神障害者であることを一瞬でも忘れさせてくれる、とても貴重な場になっている。
作業所や生活訓練なんかでは「無理しないで」と言われることが多いが、こちらとしては「もっと出来るのに!」と思うことも多い。でも絵画教室は逆で、「先生厳しすぎます」と弱音を吐きたくなるくらいの熱血指導を受けることが度々ある。主治医には「(作品の)産みの苦しみだね」とからかわれたこともあるが、まぁそんな感じだ。

なんだろう、やっぱり四六時中「私は精神障害者だ」と突きつけられるのは、しんどいんだよね。それは私がいまだに精神障害、精神疾患を受け入れられていない証拠でもあると思うけど、つらいものはつらい。
もはや健常者と同じように生活することは不可能だけど、医療・福祉だけで生活を固めたくないという気持ちは絶対に消えないし、消したくもない。

あとは、伊藤さんの言葉、リカバリーという考えがないと、そういうときも「病気が軸の人生」みたいな話になってしまうというもの。これも刺さったね。「病気が軸の人生」というパワーワード。病気のために生きてるんじゃ無いんだよね、本当は。人生の軸は自分なんですよ。時には病気に振り回されたりするけど、自分らしい人生でありたいと思う。