夕飯は作ってもらえるだけありがたいと思えなのか?

昨日の夕飯が厚揚げと小松菜の炒めたものだったんだよね。私、厚揚げ嫌いなんだよね。母には何度もそれを伝えている。なのに、また出してきた。それだけでもう食べる気が無くなってしまって、思わず「厚揚げ、見たくない」と呟いてしまった。
すると母は「じゃあ、卵かけご飯にしたら?」と言った。卵かけご飯は白飯をかきこんで食べるための料理で、おかずではない。厚揚げの代替にはならない。
でも私は、厚揚げが嫌すぎて反論すらできず、厚揚げを食べるくらいなら卵かけご飯でいいわ、と思って、「うん、そうする」と答えた。
呆然としながら卵かけご飯の準備をして、ほかの副菜(トマトのオリーブオイル漬けとか)はあったので、それを自室に運んで、泣きながら食べた。虚しかった。

厚揚げが好き、ご馳走だ、という方には本当に申し訳ないんだけど、私にとって厚揚げって貧乏の象徴なんだ。
我が家にも生活が苦しい時代があった。そんなとき、よく食卓に上っていたのが厚揚げだった。要は肉も買えないってこと。厚揚げを見ると、それを思い出してしまう。食欲が失せるというより、気力が失せてしまう。元気が無くなる。
実際問題、厚揚げって中身は豆腐で、腹に溜まる食べ物ではないから、満足感を得にくい。「明日の仕事を頑張ろう!」みたいなモチベーションも得られない。エネルギー源にならない。

これをせめて日中に知らせてもらえれば、「私厚揚げいらないわ」って言って、軽くメイクして近所のコンビニまで揚げ物でも買いに行けたけど、夕飯時にいきなり「今日は厚揚げです」って言われても、遅いんだよ。
あるいは、私が個人的に買っていた冷凍イクラがあるので、それを事前に解凍しておいて、イクラ丼にすることもできた。でもだから夕飯時は遅いと。

「親に夕飯を作ってもらえるだけありがたいと思え」とよく言われる。その通りだとは思う。
でも、嫌なメニューもあるわけで、そしてそれも事前に伝えているから、どうしてもそのメニューになるなら、こちらはこちらで自力で調達するんで、事前に教えてほしいよな、と思った次第です。できてから言われても遅い。

どうでもいいけど、卵かけご飯を作るとき、卵を割ってみたら黄身がものすごく小さくなってて驚いた。これも物価高の影響だろうか? 自分で割ることが無かったので全然気が付かなかった。
記憶にある黄身の6割くらいの大きさしかない。色合いも黄色が薄いし、ぷっくりしてなくてシワが寄ってる。これが普通に出回ってる卵なのか、うちが買ってるのが特別激安で粗悪なのか。うーん。
うち、そんな財政状況が悪化しているのかな。母が家計簿をつけないので分からないんだよね……。