こころの元気+ 2024年6月号感想

『こころの元気+ 2024年6月号』の感想。5月号は、セルフコンパッションが難しすぎて、いい感想が出てこなかったので、保留にしてある。

6月号の特集は「私のネタ話」だった。
これがかなり面白くて、なんでもっと早く読まなかったんだろう、と後悔した。どれも難しくなく、疲れた脳でも気楽に読めた。
コンボ関係者のネタ話も良かった。特に、個人的に好きな糸川先生のネタ話が、いかにも糸川先生らしくて面白かった。

今年から始まった星野さんの「壮大じゃない話」というエッセー。正直言って全然面白くないのでスルーしていたんだが、6月号はそこそこ面白かった。「友達とは?」というタイトル。
私は、学校や部活、サークルといった集団の中で話す人はそれなりにできるのに、そのコミュニティを抜けると誰もいなくなる。
唯一、大学時代の同期が繋がっている感じだが、少し前に書いた通り、微妙な関係になりつつある。だから、これからのご縁は大事にしようと思った。

「私の打ち手」はなかなか考えさせられる話題だった。1つは、障害をどこまで打ち明けるか。
私は、相手が精神障害者ならオープンにしている(状況的にバレるとも言う)が、健常者なら黙っているかな。例外的に、大学時代の同級生たちはなりゆきでほとんどが知っているのと、絵画教室の先生などごく一部の人には打ち明けたくらいで、数回しか会わないなら言わないかな。
精神疾患の情報を与えない状態の、素の私と接してもらって、特段害は無いと思われたら、べつに打ち明けても問題は無いだろうけど、私は双極もあるから、気分の浮き沈みで「なんかおかしい」と思われがちなんだよね。母ですら気付くもんね……。テンション高いとか、イライラしてるとか、迷惑かけることがある。
そういうことを考えると、よほどのことが無い限り健常者には打ち明けられないかな。というのも、長年付き合いのあった元上司から連絡が来なくなった。忙しいのもあるとは思うけど、もう潮時かな……。25年も付き合ってくれてありがとう。

もう1つは、どうやって病気を受け入れたか、だが。
私は以前にも書いたと思うが、いまだに病気を受け入れられないでいる。
こんな呪われた病気・障害になんか、なりたくなかった。病気になっていなかったら、あんなこともできた、こんなこともできた、きっとこうしていただろう、ということが山ほどある。病気によって、私の人生はめちゃくちゃにされた。
ブログ村などでは「病気になってよかった」「感謝の気持ちさえ持ってる」みたいなこと書いている人が結構いるけど、偽善だなと思う。そんなわけない。病気じゃない人生のほうがいいに決まってる。絶対に。

それでも、仕事をするようになって、その激しい感情は多少は和らいできた。ようやく社会と接点を持てた、という事実は非常に大きい。病気になっても働けるんだ、と実感できたことが、病気を受け入れていることだとしたら、それはそうかもしれない。

「私の働く生活ストーリー」は清掃の仕事をされている方のお話だった。
この記事を読んで、私は重大なことに気付かされた。給料って「仕事がうまくできるようになった段階の値段」なんだな、って。新人で仕事を教わってる段階の人には最低賃金すら出したくないって経営者がほとんどだろう。そりゃそうだよね、仕事がまともにできてないんだから、売り上げにも貢献してないし、その段階では会社的には赤字だ。
そこを乗り越えて、うまくできるようになって初めて黒字になるわけで、私なんかなにを調子こいて「時給が足りない」とか言ってたんだろう? 焦って社長に直談判しなくて本当に良かった。

この方は10年以上清掃を続けているそうで、たった1年続いただけで小躍りしている私は、とても恥ずかしくなった。
うちの会社は定年が無いみたいで、結構なシニアも働いているので、このままずっと働かせてもらいたい。首にならないように気を付けたい。