通所のルーティーン

昨日は生活訓練だったんだが、その前の日、11日の夜からまた具合が悪くなり、「これはもう行けない」と思っていた。通所を諦めていた。
ところが、12日の朝起きてみると、目覚めも比較的スッキリしているし体調も悪くない。それなのに「途中で具合が悪くなったらどうしよう」という不安感から、気持ち的には出かけるのをためらっていた。

ところが、体は勝手に出かける用意をしていた。朝ご飯を食べて、洗顔歯磨きをして、服を着替えて化粧をして。普段なら途中途中で休憩を挟まないとだるくて体が動かない身支度も、昨日はほとんど休みを取らずにトントン拍子で進み、終わってみたら出発予定の1時間半も前に準備が出来てしまっていた。
ここまで仕上がると、もう出かけない理由が見当たらなくて、「しょうがない、行くか」という気持ちだった。

そこで思ったんだけど、週2日の通所が「当たり前」になってきたのかなぁと。生活の一部というか。
体調が多少悪くても、気が進まなくても、行ってしまえばなんとかなる。この半年でそれはよく分かった。まさに「通所のルーティーン」になったのかな、という感じ。行くのが「普通」みたいな。

これは、ただなんとなく身に付いたわけではなくて、少し意識して考え方を変えた面もある。
例えば、下痢が止まらなくて行くのを迷った時、学生時代だったら正露丸を飲んででも行っていたよな、と思い出したり。今なら正露丸より強力なイリボーを飲んでるし、下痢だったらだいたい出かける前までには便が出切ってしまうから、そんなに心配することじゃないとか。そのためにかなり余裕をもって朝起きているし。
もし仮に通所途中で便意に襲われても、電車内にトイレがある車両で通所しているから、万が一の場合でも安心だ。実際、電車のトイレは使ったことが無いけど、駅のトイレはほぼ毎回使っている。それで安心感を得た。

作業自体も、私が好きなデータ入力の仕事があるし、それも出来高制だから、「頑張れば報われる」と実感できるのも大きい。
まぁ受けているサービスが生活訓練だから、ずっと仕事をさせてもらえるわけでは無くて、お金にならない軽作業もやらされる。最初はこれが嫌で、「こんなことも出来ないと思われているんだろうか?」とずっと屈辱に感じていたけど、今は少し考え方を変えた。通所することに意味がある、と。通所する「習慣」を身に付けるんだって。
それがこの「通所のルーティーン」なのかな、と思っている。