依存先の違い

障害の有無に関わらず、人って「ヒトに執着する人」と「モノに執着する人」と、いると思う。そして、「ヒトに執着する人」のほうが偉いと思われている気がする。

たとえば、友達がたくさんいて、パートナーもいて、子供がいて、職場でも先輩後輩上司部下に囲まれて、みたいな。
どこへ行くにも誰かと一緒。暇さえあればSNSや電話。そうやって、膨大な人間関係を維持している。

母のことなんだけど、母自身も「お父さんが死んだら寂しいし、一人暮らしできない」と言っていて、自覚があるみたいだ。
それでも、上述のように「人との繋がりが多い」というだけで、いわゆるリア充を鼻にかけ、夫に先立たれ、子供とも同居せず(してもらえず)、古い一軒家に1人で暮らしている高齢女性のことを、どこか見下しているように話すことがある。
我が親ながら恥ずかしいと思う。

ブログ村でも、いくら仕事が出来てもパートナーに恵まれないんじゃ意味無い(笑)、みたいなことを書いてる人がいて、ひどいなーと思った。まぁそのあと記事が削除されていたから、本人も分かってると思うけど。
この人、マウント取ったり人を見下したりするときに絶妙なタイミングで「笑」を使うから、それもイラっとするんだよね。なにかの病気なのかな。

話を戻そう。私は見ての通り「モノに執着する」ほうで、服とか食べ物とかパソコンとか、人付き合いよりそういうモノのほうが優先順位が圧倒的に高い。そして、こういう人間のことを世間では、陰キャだとかオタクだとか言っていて、ヒトに執着する人よりも劣った人間だと思われている。
なんでだろうな? パソコンを弄っててプログラムが完成した時の達成感や、絵を描いて自分の想像以上の出来栄えに感動したり、お気に入りの服を着た時の満足感、コーヒーや紅茶を飲んだ時、アロマを焚いた時のリラックス感は、ちょっと何物にも代えがたいよね。

まぁこういうことを書くと、ヒトに執着する人から「あなたは人の本当の良さを知らない」とか「モノは応えてくれないよ?」とか「可哀相」とか、ひどい人になると「心に何か欠陥があるのでは?」とか言う人、いますからね。
大きなお世話だよ。