認知行動療法 2回目

認知行動療法(CBT)の2回目。
最初にセラピストから、「IBSを治すCBTという専用のプログラムは無いので、一般的なCBTの手法でやってみるけど、いいですか?」みたいな確認を取られた。あ、そうなんだ、というのが正直な感想だった。IBSをCBTで治そうとする人、いると思うんだけどねぇ。
それでも私はCBTで何か改善できるかもしれない、と思っているし、IBS以外にも認知のゆがみがあって生きづらさを感じていると思っているので、「それで構いません」と答えた。

仕切り直して。
1回目に宿題として出されたいわゆる成育歴を専用ノートにガッツリ書いて行ったら、結構驚かれた。想像していたことだけど、多くの人はそんなにたくさん細かく書かないらしい。まぁそこらへんは性格だよね。
私は自分のことを知ってほしくて、承認欲求の塊を投げるつもりで書いた。この1時間に高いお金を払っているのだから、できることは全部やる。損したくない。

それで、このノートを読みながら、セラピストが「この時はどうだったの?」などと質問をしてきた。答えづらいこともそれなりに答えた。なぜなら、それでなにかフィードバックがあるかもしれないから。
実際のところ、成育歴のなかで否定されたことは1つも無く、ほとんどの出来事や思ったこと・感じたことについて共感してもらえた。うっかり涙が出そうになったくらいだ。

なんだろう、今まで特定の人にしか話したことが無い話題を、ほぼすべて吐き出して、聞いてもらって、めちゃくちゃスッキリした。相談すること、人に話を聞いてもらうことが、こんなにも大事なのかと思った。
セラピストには守秘義務があるから、今日話した内容は絶対に漏らさないだろう、ということで安心して話すことができた。それだけでも私にとってはお金を払う価値があった。
勿論、ただ話を聞くだけではなく、「これは一般的にはこうですよ」「ほかにも同じような人がいますよ」等、セラピストが自分のCBT経験の中で培った知識などを話してくれて、すごく参考になる項目もあった。

そしてまた今回、新たな宿題が出された。IBSが治ったらできるようになりたいこと、それも具体的に書いてほしい、と言われた。行ってみたい場所、食べてみたいもの、やってみたい仕事等々。これ結構あるんだよなーと思った。

帰宅して落ち着いたあと、宿題を少し考えてみたが、すぐにいくつもリストが出てきた。今日だけでもこんな出てくるなら、次回のCBTまでに結構出てきそうだな。
と同時に、私はIBSのせいでこんなにやりたいことを我慢しているんだ、と痛感して、悲しくなった。IBSさえ無ければもっといろんなことができるのに。